まあ、小学5年生の算数で出てくる速さの単元の教え方でよく議論のテーマに上がリますね。距離のことを道のりとして「みはじ」と言う方もいます。
割合の単元だと「くもわ」というものもあります。
比べられる量と元になる量と割合のことですね
非常に便利な捉え方だと私は思います。

しかし、わが国の国民性というか、公式アレルギーの方が多いです。バカなんじゃないかなと思います。

2018年にはこんな新聞記事がでたそうです。

実際、塾講師の中でも公式アレルギーの方が結構な割合でいて、「公式を教えるとそれに頼って子供が考えなくなる」と主張して公式を使わずに授業を展開します。うーん。そしてこういうタイプの塾講師に習う生徒は算数の得点が伸びません。

それは私からすると当たり前の話で、「公式を教えると子供は自分で考えなくなる」という考え自体が大人の視座での意見だからです。
そもそも公式とは理解しにくいもの理解しやすくするために継承されてきた先人達の智慧なわけです。
それを使わないで何が勉強なのかと小一時間問い詰めたいです。
こういう方は生徒に公式を理解させられない自分を正当化して立場の弱い生徒に苦行を強いているということを理解していないんでしょうね。
公式を教えないと、子供は問題を解くために必要な情報を収集できないんですよ。先生や親が教えているときはできるけど、一人では正解はできないという子が量産されます。

例えば
太郎君の通学路の道のりは家から学校まで4kmです。ある日、15分寝坊した太郎君は学校に遅れないように近道を時速6kmの速さで30分走り、学校に遅れずにすみました。太郎君が通った近道の距離は何kmだったか答えなさい。(速さは常に一定とします。)

求めたい情報
太郎君が通った近道の距離

必要な情報
1、太郎君の速さ
2、近道を移動した時間

どうすれば求められるか
速さ×時間

こうした整理を素早く行えるようになるには公式の理解が必要不可欠です。公式の理解を促さずに問題を解かせていると、問題文に解答とは関係のない数字が含まれたり、文章が長くなると混乱し、正解ができたとしても時間がかかりすぎてしまいます。

公式を使うということは
公式を使うために必要な情報を素早く集める訓練になります。特に時間との戦いである中学受験においては公式を避けるのではなく、公式を使いこなすことを念頭においておくとよいと私は思います。



習った公式を意味も使い方も理解せずに使うということです。ネットでかじったにわか知識で塾に「公式を使って教えないでください」とか言ってくるバカ親も近頃は散見されます。
お前の言った通りやっても成績上がらなかったら、文句言ってくるじゃん。
これ、職場の算数担当がこぼしてました。

公式の意味を何度も理解する
理解を促し定着するために何度も問題を解く

この2つが肝です。

まあ、速さや割合程度の問題ならば、いちいち公式理解の訓練をせずともさらっと理解してしまう子もいます。ただ、この先、数学にしても物理にしても、「公式を自分で理解したうえで、公式を利用して問題を解く」ことが当たり前になります。
社会に出ても「マニュアルやルールを自分自身で理解してマニュアルやルールを利用して業務の処理や問題解決にあたる」ということが求められます。

マニュアルがあるとマニュアルに頼ってしまうのでマニュアルを作らないという会社は大手には私が知る限りありません。マニュアルやルールがないと一定以上大きくなれませんから。

問題なのはマニュアルの中身や意図を理解せずに働く従業員の働き方なのであって、マニュアルではないです。

うちの子、公式を使った方がわからなくなるって、言ってて。文章読めば解けるって言ってるんで、公式は使わなくてもいいですよね。

サムネイル


こういう方がちらほらといます。皆さん「うちの子は読解力があるの〜」と言いたげで一様に笑顔で自慢げです。まあ、私の子じゃないんで別にいいんですけど


公式を理解したうえで公式を利用して問題を解くというのが中学以降の数学で鉄則になるんで、将来は文系確定ですね。公式理解と公式利用の訓練ができないわけですから。まあ、高校数学が壊滅しそうです。


勉強って、その単元ができているかも大事ですけど勉強のスタンスを身につけるということも合わせて行っているんですよね。