どうも管理人ですパー

 

さて、今週もやってきました、管理人のつぶやき

隔週でやってると前回の投稿内容を薄っすら忘れてたりするので、見返しながら書いております(笑)

前回は自己紹介と題して大学生活までの略歴を書いてたんでしたね

最後は荒谷先生との出会いで終わっていたので、今回はその続きから・・・

 

フェラインで荒谷先生の下棒として練習を担当することになったものの、指揮者経験なんて大学2~4年の3年間しかしていない僕取って「オペラ合唱曲」というのは大曲揃いで何から手を付けて良いのか全く分からない

しかも大学の男声合唱団(の仲間内)でしか振ってきていないので、全員年上&あまり知り合ってはいない方々&男声合唱団OB(横田さんやH野さん、S藤さんなど)を前にして振ることの怖さ

更に、当時のフェライン練習時間は今よりも長く、僕の持ち時間は毎回60~90分くらいありました。こんな長時間の練習もほとんどしたことない

・・・てな感じで、毎度震えながら曲を繰り返し通すだけの練習をやっておりました

今となっては良き思い出ですけどねてへぺろ

ただ、そんなワケも分からずやって、毎回練習後に横田さんたちと反省会(と称した飲み会)をし、叱咤激励されながら、時には嫌になりズル休みしたり(笑)

それと同時期に男声合唱団の音楽顧問をやらないかという話があり、こちらもワケも分からず就任

大学院で修士学生しながら2団体の指揮者をする生活をしておりました

この時期って、今思えば僕の中で一番濃い時間だったのかもしれません

いろんな経験をしましたからね~

指揮者としては上記のワケ分からん生活、一方で学生としては素粒子の勉強をしながら研究室に籠って実験したり、研究会や勉強会で日本全国、はたまたヨーロッパに2ヶ月半滞在したりと、自分の中の甘々アメと激痛ムチが両方あるような感じだったのかな(笑)

 

そうして2年が経ち僕の学生生活も終わりを迎えます

卒業ですね桜

普通、大学院進学したら博士課程に進学したり関西・関東の一流企業へ就職を目指したりするもんです

僕は当初は働きたくなかったので(大学入学時からそうでしたが)研究職目指して博士課程への進学を考えてたんですが、やはり研究生活で学内や他大学・研究所の同期たちと関わっていると、上には上がいる

そういう奴らが将来世界の第一線で活躍するんだろうな、僕はポスドクになるのも一苦労、食い扶持を求めて全国・世界を転々とする放浪生活をする羽目になるのでは・・・と期待がだんだん薄れてきました

当時は博士課程やその先に対しての国の支援とかも今ほど充実はしていませんでしたからね~

それで、修士1年の終わりころには、働きたくないけど生活するためのお金は欲しい、いつまでも親のスネは齧り続けたくないとの思いもあって就活組に混じって企業説明会に参加してたんですが、イマイチそそられない・・・

そんな時に、週3回現役学生に混ざって歌っていた男声合唱団、ここが一番の心の拠り所だったので、いつでも参加できるところに就職できれば良いのではと考えたわけです

そこで的を絞ったのが大学職員と地方公務員

それで福岡市内の国立・私立大学や市役所の面接を受けたりしました

民間企業も何社か受けましたけどね、まず真っ先に地元の企業が内定出してくれて・・・けど滑り止め程度にしか考えていなかったので、他が受かっていないにもかかわらず辞退

ここで、内定を受けていたら今頃僕は地元で平凡な生活をしていたんだろうなと思います

結局、修士2年の9月までのMy就活結果は・・・

・民間企業:2社(地元企業、博多の中小企業)内定、1社(N鉄)不採用

・私立大学:3校(WS、Q産、F)不採用

・市役所:不採用

という散々な結果で、残すは国立大学の合否のみ

研究室の教授からも「就職浪人していいよ」とのお言葉をいただいてたそんな時、「合格です」との電話が!!

すぐに、内定をもらっていた中小企業にはお断りのお詫び電話をして、こうして母校で働くことになったわけです

 

わずか大学院2年間の間なのに、気づけばこんなに書いてしまいましたね(笑)

ということで、社会人編は第3弾で書こうと思います

小出しスミマセン笑い泣き

 

今週末はGW真っ最中の練習です!!

頑張っていきましょうパー