ドキュメンタリー「父へ 父として~福島からのメッセージ~」その① | STEP BY STEP

ドキュメンタリー「父へ 父として~福島からのメッセージ~」その①

 
深夜、ドキュメンタリー番組があった

FNSドキュメンタリー大賞受賞作品だ
「父へ 父として~福島からのメッッセージ~」


浪江町の原発作業員の本田さん一家

須賀川市で農家を営む樽川さん一家

天栄村に住みながら地域資源を活用した活性化を研究している東北大の研究員の富田さん

3人に焦点をあてていた。


2011年3月11日14時46分
東日本大震災が起こった
M9.0福島の最大震度6強


昭和46年3月26日に福島第一原発1号機が運転開始。
これ以降合わせて10基が作られ、福島には電源三法交付金として、年間百数十億の交付金が支払われ、福島の大事な財源となっていた。

原発事故が起きるまでは、原発を意識しない生活が出来ていたのだ。


浪江町の本田さん
自分が生まれた時には原発があった。

一度東京で就職するも、生まれ故郷に戻ってきた。
故郷で仕事が出来たのは原発があったから。

3号機の冷却装置の設置作業もした方だ。
現在も前線で復旧作業にあたっている。

家族は震災後4ヶ所目の二本松の温泉旅館で暮らしている。

お子さんが3人

冷却装置の設置では1ヶ月二本松に帰れなかったそうだ。
食事もレトルト中心。


一家の柱である父親が不在。

子供達は不安がっていた。
ひと月振りに父親が戻って来た日はぐっすり眠れたそうだ。


久しぶりの休日
次女の野球の練習を家族で見に行って、バッティングピッチャーをしていたお父さん。
クラブチームに所属し、震災前は土日に野球をしていたらしい。

奥さんが、野球をする姿を見て、「浪江にいる時は、これが普通だった。普通ですかね、これが」と仰った。

家族の笑顔が印象的だった。


本田さんが最後に話していた
「辛いというか、投げ出したいのが本音。逃げ出したい。
でも緊張の糸を切らすと子供に影響を与える。
子供達も頑張っている。
この時期を乗り越えたら、また幸せが来ると信じて頑張るしかない」