今年は海外旅行に行けなそうで悲しなあと思いながら昔の写真を見ていたらかなり忘れていて,なんかもったいないなあと思ったのでブログを書いてみようと思ったので書きます.自分で思い出すのがメインの目的なので事実の羅列になって面白くなるとは思えません.
とりあえず最初は去年の夏に行ったペルーとボリビアに行った話.研究室の准教授にめちゃめちゃ文句を言われたけど無視して頑張って2週間くらい行きました.旅行する期間はチケット買う時のテンションと値段に大きく左右されるのできっとテンション高かったんでしょう.大学一年から毎年一回海外旅行をしていてだんだん自分ルールで旅行に制限をつけて難易度をあげてます.なんでかは知らない.自分でもなんでだろうと思うけど楽しい.行きかえりの飛行機以外は宿も交通手段も何も予約してません.ただこれは去年から適用してるルールなのでどうすれば旅行の難易度があがるかを考えてそういえば先進国以外行ってないと思って英語があんまり通じない途上国にしました.もうそろそろ旅の難易度を上げる手段がsimカードとかモバイルwifi買わないとかになってるのでどうしようという感じ.ちなみに荷物は大して大きくないリュック一つにまとめました.現地で洗濯するのもいいものです.あと目的地とか宿が決まってないからキャスター付きのはよくないというのに一年目に気づいた.
一日目
というわけで初日.初日といっても成田からペルーのリマまでアメリカを2回乗り継いでいったのでたしか24時間くらいかかった.トランジットでアメリカのどっかの都市で空港からバスで20分くらいのところを散歩したりした時間も入ってるけど.
リマの空港についてからリマの中心部に行くのは乗り合いバスかタクシーしかなくてたしか最初だからタクシーを使った気がする.ただ何も調べないままタクシーに乗ってしまってしかもタクシーの運転手が片言の英語しかしゃべれなかったので苦労した.リマのセンターに行ってくれって繰り返し続けてようやく向こうもあきらめて適当な場所につれてってくれた.このタクシーの道中があからさまに治安が悪そうな地域を通っていておお途上国にきたなあという感じがひしひしとした.
リマの中心部はありえん車が多くて,一方通行で8車線くらいあったのにめちゃめちゃ渋滞してて,絶えず(盛ってない)クラクションの音が聞こえてた.まじで住めたもんじゃないあんな都市には.通る車の8割がたへこんでたりなんかの部品がなかったりするし.適当に飯をくってからガイドブック調べて近くにあった遺跡的なところにとりあえず行ったんだけどこれがあまりにもしょぼかったので特に書くことはないです.たしかこの遺跡の中の丘的なところでその日の宿を予約した.そのあとは無難に国会議事堂的なところとか,教会とかを回った.特に印象に残ってない.こんなんだからヨーロッパの人気観光地に行かないんだろうね.
ただ移動で使った地下鉄は最近できたっぽくて結構ちゃんとしてた.駅で切符の買い方がわかんなくてごたごたしてたら親切な英語を単語ちょっと知ってますくらいのおじさんが助けてくれて買ってくれた.最初手をこっちに向けてきて金ぱくられるんかと思って警戒したのが申し訳ない.ちなみにリマの中心部から少し離れたところに川があってその対岸はありえん荒廃してて明らかに治安が悪かった.こわい.予約したホステルにいったらねこがいたのでよかった(小並感)たぶん1500円くらいだった気がする.1500円で朝ご飯とねこがついてくるので悪くなかった.シャワーはたしか暖かかった.
二日目
リマの居心地が悪くて二日目でリマから離れることを決意.バスターミナルに行ったら深夜バスが売り切れてたので飛行機でクスコに向かった.当日航空券買って乗るなんてのはさすがに人生初だった.空港で白いとうもろこしをくったけど非常にまずかったのでそれ以降白いとうもろこしはほとんど食べなかった.南米だと結構主食として使われてるみたい.
クスコはインカ帝国の首都だそう.僕は世界史を全然習ってないのでよく知らなかったけどインカ帝国って大して古くなくて数百年前くらいのものらしい.ちなみにインカ帝国の末裔の民族の人たちはクスコとかには普通にいてインカの言語を使ってるひともまあまあいる.顔とか体格とかの見た目も明らかにヨーロッパから入ってきた人とは違ってた.そういう人たちはだいたいお土産屋さんで働いてた.インカ帝国がスペイン?に滅ぼされたらしいけど実は武力よりもウイルスの影響が大きかった説があるって最近の授業で先生が言ってた.ウイルスこわ.
クスコの空港からクスコの中心部まではまたタクシー.タクシーに乗る前に空港の出口にたくさんたむろしてる運転手に値段を聞いて回って,3人目くらいが一番安くてそれに乗っていった.一人目の1/5くらいの値段だった気がする.まじでぼったくりやべえ.クスコでも無難に教会とか見ながら散歩して二日目は終わり.近くの山でしょっちゅう大砲?を撃ってるような音がしてて煙が上がってて音が鳴るたびにビビってた.
クスコの宿は安くて1500円くらいだった気がする.飯はおいてあるパンとかを自分で勝手にとって食うみたいな感じ.ただ,入り口からは想像もできない広い迷路みたいな空間が広がってて面白い建物だった.うまく説明できないけどジブリとかにでてきそうな秘密基地っぽい感じ.下の写真では伝わってないだろうなあ.シャワーは冷たかった.
三日目
クスコの近くにあった遺跡を回った.クスコから10キロくらい歩いて一周できる感じだったので歩いて回ろうと思って歩き出したら,街を出たくらいのところでおっさんに話しかけられて車で遺跡を送って回ってやるよ3000円くらいでみたいな感じで話しかけられた.ちょっとまけてもらって2500円くらいに交渉して遺跡を送ってもらった.普通にいい人で車乗りながら遺跡の説明ちょっとしてくれたし待ち合わせとかの相談はできるくらいの英語は喋れたので快適に回れた.回った遺跡はだいたいインカ帝国の遺跡で街とか要塞っぽいのの面影がある石組みがあるという感じだった.
ちなみにそのうちの一つ(上)以外は全く人気がなくて基本遺跡の中にボッチだった.人気がない遺跡のうちの一つの周りを適当に歩いてたら自給自足してる集落的なところにはいっちゃって,牛,馬,鶏,たくさんの犬に囲まれて死ぬかと思った.狂犬病とか普通にありそうだし.
途中で案内してくれたおっさんの知り合いがやってるっぽい小さな服屋さんにも連れてってもらった.アルパカを飼っててその毛だけで服を作ってる店だった.たぶん.(英語が下手だったのであんまり自信がない.あと嘘かもしれない)服の染め方とかを教えてくれて,買わずに出るのは申し訳ない空気だったのでアルパカの毛でできた服を一着買った.僕と仲いい人はどの服かわかるでしょう.ちなみに最初一万円の服をおすすめされて無理無理って言ったら5000円の服を出してきて,それを値引きして2500円くらいで買った.たぶんそれでもかないぼったくられてる.一万円の服はアルパカの赤ちゃんの毛でできてて,手触りは神だった.それは全然まけてくれなかったので本当に高いのかもしれない.
一日かけてクスコ周りの遺跡を回ろうと思ってたけど午前中にほとんど回れてしまったので午後はマチュピチュ村に向かった.マチュピチュ村に行くにはオリャンタイタンボというところから電車に乗る必要があるのでその電車の予約をしてからオリャンタイタンボに向かった.これはたしか乗り合いバスがあと2時間は出発しないとかでタクシーを使って2時間くらいだったけど3000円くらいだった.(安い!たぶんぼったくられてるけど)
オリャンタイタンボにもインカ帝国の遺跡があってそこを見て時間をつぶしてから電車に乗ってマチュピチュ村に着いた.この遺跡も崖の上ギリギリを歩かされる感じでかなり怖かった.マチュピチュ村の宿は川沿いので一泊2000円くらいだった.この宿の同じ部屋に30歳くらいの一人旅の日本人がいてやっと有休をとれるようになったから海外旅行に来れたーって話しててつらくなった.
今見ると三日目めっちゃ進捗多いな.シャワーの温度は覚えてない.でもいい感じのカフェがついてたし暖かかったんじゃなかろうか.
四日目
マチュピチュに行った.マチュピチュ村からバスで20分くらいだった.マチュピチュ村のバスの待ち時間がえげつなくて旅行客で長蛇の列になっててしんどかった.列で待ってる間やせ細って死にそうな野良犬が僕の足にもたれかかって寝てた.マチュピチュに入るときはガイドと一緒に行動しないといけないそうで,マチュピチュの入り口でガイドを捕まえて,インド人の家族と一緒にマチュピチュを回った.マチュピチュはインカ帝国の都市の一つで標高は3000mくらい.たぶん.インド人の家族の長男が理系の高学歴でちょっと理系トークをした.マチュピチュ内にはアルパカがいて一緒に写真を撮ったりした.あとインカの民族の人がインカの派手な衣装を着て歩き回ってて一緒に写真を撮った,写真を撮った後はお金が欲しそうに近くにずっといるので500円くらいあげた.でもこの民族の人の連れてた子供多分8歳くらいがありえんかわいかったのですべてを許せた.マチュピチュだいたい回り終わってガイドと別れてからこっそり入り口のあたりに戻って二週目回ろうとしたら監視員に結構厳しく怒られた.二回トライしたけどだめだった.ガイドがスルーしてたとこもあったのでそこも周りたかったのに行けなくて残念.
マチュピチュからマチュピチュ村への帰りはバスを待つのが面倒だったので歩いて戻った.一時間くらいずっと石の階段を下りる感じでそこそこしんどかった.マチュピチュ村に帰ったあとマチュピチュ村のはずれにある温泉に入った.水着で入る混浴で屋外温水プールって感じだった.ただ飲み物を頼めて,インカコーラっていうペルーではコカ・コーラより人気な黄色いコーラを飲んだ.僕はコカ・コーラよりインカコーラの方が好きで,この後ペルー内で何回か飲んだ.
この日は電車でオリャンタイタンボに戻って終わり.帰りの電車は行きよりちょっと高い奴で,お菓子と飲み物がでたり,乗務員が仮面付けて踊ったりしてた.ちなみに踊ったあと着た服を販売し始めて面白かった.オリャンタイタンボの宿でマチュピチュ村であったぼっち日本人と再会した.宿の探し方を聞いてみるbooking.comで一番安い宿に泊まるという僕と全く同じ戦略をとっていて,とるタイミングも当日でほぼ僕と同じだったのでそりゃ被るわという感.宿代は800円くらい.ちなみにペルーの中で日本人はマチュピチュ村周辺ではツアー客がたくさんいたけど,それ以外の場所ではほとんど見なかったので,日本人はマチュピチュにしか興味がないんだなあという感じ.
宿はオリャンタイタンボで一番安いユースホステルだったけど管理人さんはめっちゃいい人だったし屋上の景色もめっちゃよかったので当たりだった.やはりユースホステルの当たりはずれは値段には寄らないし,むしろ安いと管理人がいい人で当たりだったりする.でもシャワーは冷たいのしか出なかった.
もう写真を貼れなくなってしまったので今回はここまで.
三部作くらいになってしまうのでは.






