水原バンバンバン
今や、『JAPAN U-12 FOOTBALL CHAMPIONSHIP』とも言われるらしい、小学生フットボーラー最大目標のこの大会。
新潟県代表はグループ予選敗退がお決まりでしたが、今年は水原サッカー少年団、略して水原SSが、
何とベスト4まで残っています。
ただ、正しくは残ってました、です。
準決勝でグランパスに0-4でやられました。
試合内容が見えないので、何とも言えないけど、やれヴェルディだ、レイソルだ、アントラーズだ、フロンターレだ、セレッソだ、サガンだと、J下部組織のチームと肩を並べたのは、立派ですよね。
まぁ、アルビのU-12はどうなってんだって話にもなりますが。
兎に角、岩崎、原、堀内を擁した小針中以来の衝撃です。
新潟のサッカー界にとってもエポックメイキングなことだと思います。
小針中からJリーガーは生まれませんでしたが、この全国トップレベルを体験した水原SSの子供達の中から、アルビに入って、代表に選ばれる選手が出てきて欲しいです。
いや、
出て来いや!
…
m(__)m
これでいいのだ
8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、本当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。
10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』と、こういいました。自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。
しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に残っています。そして、仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところをみたことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔ははるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃんの葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このやろう逝きやがった』とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。
すなわち『これでいいのだ』と。
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外でのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
私もあなたの数多くの作品の一つです。
合掌。
平成20年8月7日、森田一義
(産経新聞より)
赤塚不二夫先生のご冥福をお祈り致します。
どーなった、反町ジャパン… なぜ?クゥ~…

日本 0-1 アメリカ
やっと、観終わりますた。
山本さん(昌であって昌でない)が「勝つサッカー」が必要だと言ってましたが、その通りで、「きれいなサッカー」をやってしまった感があります。
アジアでは悪いなりにも勝てましたが、世界では良くなっても勝てませんでした。
タラレバとしては、幾度かの決定機が入っていればというのも当然ですが、最も悔やまれるのは前半の終わり方。
本田圭がコーナーを蹴っていれば…。
彼だけの責任ではないですけどね。
むしろ頑張ってた方です。
香川も、内田も。
A代表経験者というオーラが出てました。
問題はワントップ。
ここでキープできないから、攻めの形が見えない訳で。
ナイジェリア戦でここに入る選手が鍵になると思われます。
兎に角、3分け2位抜けプランが無くなり、勝ち点3が必要になりました。
反さんが次どう戦うか、楽しみです。
加油!反町日本!!
神宮外苑の側にて
花火の音を聞きながら、仕事してますた。
会社が神宮から近くて、花火を横から見えます。
岩井俊二の 『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』って映画がありましたが、
結論、
外で見たい。
会社からは何の邪魔もなく、きれいに見えるんですが、何か足りない。
音も聞こえるんですが、何か足りない。
というか、響かない。
やっぱ花火は体にドーンと響いて欲しいです。
そして、焼きそばとビール。
あー、花火行きてーなぁ。
子供の頃、飛行機乗ってて、上から見たこともあったなぁ。
そんな、夏の思い出。



