といっても死んだわけでもないし喧嘩をしたわけでもない。
小中高と一緒だったが別にそんなに仲良しでもなかった同級生、それを友人と呼んでよいかどうかも悩む。津軽では友達を「けやぐ」という。だが、それは一度会って話したことがあるだけの人のことをいう場合もあり解釈が微妙だ。そういう意味で彼は広義の「けやぐ」なのかもしれない。
彼から電話が来たのは1週間ほど前。会社の営業で盛岡から弘前に来るという、暇なら夕食でも一緒にしないかと。休日か日曜日がいいなという。ちょっと違和感を感じたが同窓会以来なので5年ぶりぐらいになるし時間もあったのでOKした。彼は小学校の時から運動が得意で女の子たちにもモテモテ。ボクとは対極をなす超イケメンボーイだった。正直住む世界が違うと思っていた。
ついでとはいえせっかく来てくれるんだしこっちの旨いもんでも悪くないな、と脳内で食事の場所を絞っていた。しかし当日、電話で彼の方から時間と場所を指定してきた。なんでも奥さんがこっちの人でよく来るのだという。そりゃ変な気遣いは無粋というものだ、彼に一任することにした。
時間に店の前に来るとスーツ姿の彼がやってきた。昔とあんまり変わっていない。店の中に入って席を決めると、もう一人いるといって電話で人を呼び出した。一緒に営業に来た部下だという。ぱっと見、同世代の好青年だった。実際1つしか年が違わなかった。初対面だし一応名刺を渡した。ところが彼は名刺を持っていないという。会社の営業って普通名刺は持ち歩くものだと思っていたのでちょっと意外だった。二人ともこのままクルマで盛岡に帰るということで酒は飲まずに食事のみとなった。
久しぶりに会えば、あのクラスのあいつは今どうしているとか、こないだ偶然あいつに会ったとかそんな話で軽く1時間は過ごせる。その部下も盛岡出身なのでどこに住んでいるとか街がどう変わったとか地元ネタで話は通じる。何でもアレルギー持ちで春になると花粉症で悩まされているのだが近年は調子がいいんだとか。和やかな雰囲気で普通の会話をしながら夕食を食べた。
すると、友人の彼が突然「実は今日お前に会いに来たもう一つの理由がある」と言い始めた。そのときの彼の視点の定まらない泳いだ眼が今でも忘れられない。実は彼らはボクのために「宗教の勧誘」に来たのだった。一気に脳内クロックが上がった。彼が電話をしてきたときから今この瞬間までの経緯をTimeMachineで呼び起こしその言動や行動のひとつひとつを検証してみる。時間と場所を指定、ツーマンセルでの行動、職場の名刺を持ち歩いていない(あるいは渡さない)、そもそもそんなに親しくなかった同級生が自分に会いに来る、明らかに計画的に二人で盛岡からやって来ている。会社の営業なら「休日か日曜日」なんて曖昧なスケジュールな訳がない。スーツ姿は偽装か勧誘のためのデフォか。とにかく自分は完全に騙されていたのだ。
そこから1時間、入信してからの自分たちにおとずれた幸運の数々や医者に見放された癌患者が奇跡の復活をとげた話とかを延々。その部下のアレルギーが軽くなったのも入信のおかげなんだとか。こっちは科学的な根拠もなくそういうことは一切信じない質なのでもちろん脳内シュレッダーダイレクトイン。それよりも脱出の糸口を見つけ出さないといけない。いきなり「悪り~興味ないんで帰るわ」って状況にしないような前半1時間の布石はあっちもプロだ。こっちもできるものなら喧嘩別れはしたくない。仮にも12年間一緒だった同級生だ。いろんな策が脳内を駆け巡る。やたらに運気の話をするので、共通の同級生が波瀾万丈な人生を歩んでいて今どん底なんだという話で一方的な話をこちらから断ち切る。去年までの屈辱的な日々が今では嘘のように毎日晴れ晴れとしているのは運でも何でもなく自分で切り開いたものだと胸を張った。成仏云々を語るが、目の前で死んでいく人間をお前らは一体何人見たというのだ?自分を守りながら相手に攻め入る話で絶対にひるまない。こっちもただ聞いているほどバカじゃない。
思った通りの反応がないボクにしびれを切らしたのか、先方から「一度自分たちのやっていることを20分くらい真似してみてほしい」と言い出してきた。ここで仮に「うん」と言えば、この場所じゃ何だからと彼らの城へ連れて行かれる予感がした。もちろんこっちは冗談じゃない。「ゴメン、オレ、いいわ」精一杯のトゲ抜き言葉だった。気がつくとトータル2時間同じ場所にいた。子供たちを寝せる時間だといって席を立って、彼らのメシ代まで全部出してやった。こんなことで1銭たりとも借りは作りたくなかったからだ。
駐車場に出て自分のクルマに乗るときに新たな不安が頭をよぎった。実はスリーマンセルなんじゃないかと。あたりはすっかり暗いし瞬時に人の乗ったクルマを識別するのは困難だ。渡した名刺には職場の住所しか書いていないし彼には携帯の番号しか教えていない。追跡されて家族にまで手が伸びるのだけはなんとしても阻止しないといけない。駐車場を出てからしばらくぶっ飛ばして眼に入ったコンビニにとりあえず入った。どうやら追跡はなかったようだ。帰り際に彼の所属する組織の冊子と新聞をもらったがこのコンビニで読まずに捨てた。
家に帰ると子供たちは既に寝ており、カミさんだけが起きていた。救われた気がした。実はカミさんも同じような経験をしているのだ。カミさんの場合は喧嘩別れ、というよりも同級生の連れが逆ギレしたらしい。いや、正直ボクも怒りたかった。何といっても騙されたんだから。でもそれよりも何よりもただただ悲しい。そんな形でしか会ってくれない「けやぐ」と勧誘であると予測できなかった自分の両方に悲しみを感じざるを得なかった。そのレストランでの出来事を全部カミさんに話した。相当スッキリした。
カミさんの体験との共通点は、
1.ファミレス指定
2.そんなに親しくなかった同級生
3.ツーマンセル
特に2は重要だ。彼らは親友には絶対声をかけない。もし嫌われてしまったら困るからだ。つまり嫌われても余り影響がない(=そんなに親しくない)人間が標的になるのだ。それでもボクは電話が来たときに嬉しかった。年賀状も出していないのにボクが弘前にいることを憶えていてくれて仕事のついでとはいえ食事に誘ってくれるんだから。もちろんそれは嘘で偽装であったわけだが、彼はそうやって今まで何人の友人を失ってきたのかと考えると胸が痛む。そこまで一生懸命勧誘をしないといけない理由は何なのか。自分が満足するだけではダメだったんだろうか。
おそらくボクが彼と会うことは二度とないだろう。本当に会いたくて連絡が来たのだとしても会えないと思う。彼にとっては単なる勧誘の一失敗例かもしれないが、ボクには深い心の傷が残った。彼の名前を聞くだけでその日のことが鮮明に浮かんでくるだろう。もはやイケメンナイスガイの彼を想像することはできない。結局最後まで住む世界が違った。もう後戻りはできない。
神や仏にすがる前に相談できる家族や友達がいる自分は本当に幸せ者だと思った。そしてそれを失わないように日々努力しようと心に誓った。
「けやぐ」については時々考えさせられる。SNSの発達でいろんな人たちと言葉の交流ができるようになり、それをきっかけに集まって飲んだりイベントやったりと新しいコミュニケーションが生まれている。だが、大事なのは基本的に同趣同好の集まりであるということで、ただ単に同郷で会話をしたことがあるだけの「けやぐ」の集まりにはいずれ歪みが生じてくるものだ。
何の話かというと今年の春に弘前城であったTwitterの集まり。今となっては参加したことをとても後悔している。気がつけば尾ひれはひれがくっついてリーダー格にのせられて訳のわからん志を持つことになった主催者の学生を応援する団体に大変身。月例会なる飲み会まで発生し、二十歳に満たない学生たちが大人と一緒に宴会をするという由々しき状態に。公職にあるリーダー格の後援会とも受け取られる様相を呈しているが、もし明るみに出れば彼が失職するのも時間の問題だ。そしてTwitterが元の集まりなのにその志のあるはずの学生たちのTweetが全然ショボいという事実。ただのオフ会であればよかったものが、訳のわからない方向に迷走している。もう最初の春のときからその兆候があって既に関わらないようにしているが、一度参加したがために「けやぐ」という言葉でひとくくりにされることに恐怖を感じる実例だ。そもそもバイトも勉強もロクにしないでTwitterでくだらない呟きばかりしている学生に起業だとか維新だとか志を見いだす方が無茶というものだ。こういう「けやぐ」を失うことに関しては痛くもかゆくもない。というかもはや「けやぐ」などとは思ってもいない。
自分は津軽出身ではないが、津軽の人が言う「あれだばわのけやぐだはんで」という言葉にはいつも慎重になっている。蓋を開けたらほとんどただのアカの他人ということが往々にしてあるからだ。
小中高と一緒だったが別にそんなに仲良しでもなかった同級生、それを友人と呼んでよいかどうかも悩む。津軽では友達を「けやぐ」という。だが、それは一度会って話したことがあるだけの人のことをいう場合もあり解釈が微妙だ。そういう意味で彼は広義の「けやぐ」なのかもしれない。
彼から電話が来たのは1週間ほど前。会社の営業で盛岡から弘前に来るという、暇なら夕食でも一緒にしないかと。休日か日曜日がいいなという。ちょっと違和感を感じたが同窓会以来なので5年ぶりぐらいになるし時間もあったのでOKした。彼は小学校の時から運動が得意で女の子たちにもモテモテ。ボクとは対極をなす超イケメンボーイだった。正直住む世界が違うと思っていた。
ついでとはいえせっかく来てくれるんだしこっちの旨いもんでも悪くないな、と脳内で食事の場所を絞っていた。しかし当日、電話で彼の方から時間と場所を指定してきた。なんでも奥さんがこっちの人でよく来るのだという。そりゃ変な気遣いは無粋というものだ、彼に一任することにした。
時間に店の前に来るとスーツ姿の彼がやってきた。昔とあんまり変わっていない。店の中に入って席を決めると、もう一人いるといって電話で人を呼び出した。一緒に営業に来た部下だという。ぱっと見、同世代の好青年だった。実際1つしか年が違わなかった。初対面だし一応名刺を渡した。ところが彼は名刺を持っていないという。会社の営業って普通名刺は持ち歩くものだと思っていたのでちょっと意外だった。二人ともこのままクルマで盛岡に帰るということで酒は飲まずに食事のみとなった。
久しぶりに会えば、あのクラスのあいつは今どうしているとか、こないだ偶然あいつに会ったとかそんな話で軽く1時間は過ごせる。その部下も盛岡出身なのでどこに住んでいるとか街がどう変わったとか地元ネタで話は通じる。何でもアレルギー持ちで春になると花粉症で悩まされているのだが近年は調子がいいんだとか。和やかな雰囲気で普通の会話をしながら夕食を食べた。
すると、友人の彼が突然「実は今日お前に会いに来たもう一つの理由がある」と言い始めた。そのときの彼の視点の定まらない泳いだ眼が今でも忘れられない。実は彼らはボクのために「宗教の勧誘」に来たのだった。一気に脳内クロックが上がった。彼が電話をしてきたときから今この瞬間までの経緯をTimeMachineで呼び起こしその言動や行動のひとつひとつを検証してみる。時間と場所を指定、ツーマンセルでの行動、職場の名刺を持ち歩いていない(あるいは渡さない)、そもそもそんなに親しくなかった同級生が自分に会いに来る、明らかに計画的に二人で盛岡からやって来ている。会社の営業なら「休日か日曜日」なんて曖昧なスケジュールな訳がない。スーツ姿は偽装か勧誘のためのデフォか。とにかく自分は完全に騙されていたのだ。
そこから1時間、入信してからの自分たちにおとずれた幸運の数々や医者に見放された癌患者が奇跡の復活をとげた話とかを延々。その部下のアレルギーが軽くなったのも入信のおかげなんだとか。こっちは科学的な根拠もなくそういうことは一切信じない質なのでもちろん脳内シュレッダーダイレクトイン。それよりも脱出の糸口を見つけ出さないといけない。いきなり「悪り~興味ないんで帰るわ」って状況にしないような前半1時間の布石はあっちもプロだ。こっちもできるものなら喧嘩別れはしたくない。仮にも12年間一緒だった同級生だ。いろんな策が脳内を駆け巡る。やたらに運気の話をするので、共通の同級生が波瀾万丈な人生を歩んでいて今どん底なんだという話で一方的な話をこちらから断ち切る。去年までの屈辱的な日々が今では嘘のように毎日晴れ晴れとしているのは運でも何でもなく自分で切り開いたものだと胸を張った。成仏云々を語るが、目の前で死んでいく人間をお前らは一体何人見たというのだ?自分を守りながら相手に攻め入る話で絶対にひるまない。こっちもただ聞いているほどバカじゃない。
思った通りの反応がないボクにしびれを切らしたのか、先方から「一度自分たちのやっていることを20分くらい真似してみてほしい」と言い出してきた。ここで仮に「うん」と言えば、この場所じゃ何だからと彼らの城へ連れて行かれる予感がした。もちろんこっちは冗談じゃない。「ゴメン、オレ、いいわ」精一杯のトゲ抜き言葉だった。気がつくとトータル2時間同じ場所にいた。子供たちを寝せる時間だといって席を立って、彼らのメシ代まで全部出してやった。こんなことで1銭たりとも借りは作りたくなかったからだ。
駐車場に出て自分のクルマに乗るときに新たな不安が頭をよぎった。実はスリーマンセルなんじゃないかと。あたりはすっかり暗いし瞬時に人の乗ったクルマを識別するのは困難だ。渡した名刺には職場の住所しか書いていないし彼には携帯の番号しか教えていない。追跡されて家族にまで手が伸びるのだけはなんとしても阻止しないといけない。駐車場を出てからしばらくぶっ飛ばして眼に入ったコンビニにとりあえず入った。どうやら追跡はなかったようだ。帰り際に彼の所属する組織の冊子と新聞をもらったがこのコンビニで読まずに捨てた。
家に帰ると子供たちは既に寝ており、カミさんだけが起きていた。救われた気がした。実はカミさんも同じような経験をしているのだ。カミさんの場合は喧嘩別れ、というよりも同級生の連れが逆ギレしたらしい。いや、正直ボクも怒りたかった。何といっても騙されたんだから。でもそれよりも何よりもただただ悲しい。そんな形でしか会ってくれない「けやぐ」と勧誘であると予測できなかった自分の両方に悲しみを感じざるを得なかった。そのレストランでの出来事を全部カミさんに話した。相当スッキリした。
カミさんの体験との共通点は、
1.ファミレス指定
2.そんなに親しくなかった同級生
3.ツーマンセル
特に2は重要だ。彼らは親友には絶対声をかけない。もし嫌われてしまったら困るからだ。つまり嫌われても余り影響がない(=そんなに親しくない)人間が標的になるのだ。それでもボクは電話が来たときに嬉しかった。年賀状も出していないのにボクが弘前にいることを憶えていてくれて仕事のついでとはいえ食事に誘ってくれるんだから。もちろんそれは嘘で偽装であったわけだが、彼はそうやって今まで何人の友人を失ってきたのかと考えると胸が痛む。そこまで一生懸命勧誘をしないといけない理由は何なのか。自分が満足するだけではダメだったんだろうか。
おそらくボクが彼と会うことは二度とないだろう。本当に会いたくて連絡が来たのだとしても会えないと思う。彼にとっては単なる勧誘の一失敗例かもしれないが、ボクには深い心の傷が残った。彼の名前を聞くだけでその日のことが鮮明に浮かんでくるだろう。もはやイケメンナイスガイの彼を想像することはできない。結局最後まで住む世界が違った。もう後戻りはできない。
神や仏にすがる前に相談できる家族や友達がいる自分は本当に幸せ者だと思った。そしてそれを失わないように日々努力しようと心に誓った。
「けやぐ」については時々考えさせられる。SNSの発達でいろんな人たちと言葉の交流ができるようになり、それをきっかけに集まって飲んだりイベントやったりと新しいコミュニケーションが生まれている。だが、大事なのは基本的に同趣同好の集まりであるということで、ただ単に同郷で会話をしたことがあるだけの「けやぐ」の集まりにはいずれ歪みが生じてくるものだ。
何の話かというと今年の春に弘前城であったTwitterの集まり。今となっては参加したことをとても後悔している。気がつけば尾ひれはひれがくっついてリーダー格にのせられて訳のわからん志を持つことになった主催者の学生を応援する団体に大変身。月例会なる飲み会まで発生し、二十歳に満たない学生たちが大人と一緒に宴会をするという由々しき状態に。公職にあるリーダー格の後援会とも受け取られる様相を呈しているが、もし明るみに出れば彼が失職するのも時間の問題だ。そしてTwitterが元の集まりなのにその志のあるはずの学生たちのTweetが全然ショボいという事実。ただのオフ会であればよかったものが、訳のわからない方向に迷走している。もう最初の春のときからその兆候があって既に関わらないようにしているが、一度参加したがために「けやぐ」という言葉でひとくくりにされることに恐怖を感じる実例だ。そもそもバイトも勉強もロクにしないでTwitterでくだらない呟きばかりしている学生に起業だとか維新だとか志を見いだす方が無茶というものだ。こういう「けやぐ」を失うことに関しては痛くもかゆくもない。というかもはや「けやぐ」などとは思ってもいない。
自分は津軽出身ではないが、津軽の人が言う「あれだばわのけやぐだはんで」という言葉にはいつも慎重になっている。蓋を開けたらほとんどただのアカの他人ということが往々にしてあるからだ。