12月5日、加藤周一が亡くなった。


非常に残念である、
などという言葉では片付けられない喪失感を感じる。


私の人生に多大な影響を与えた人間は誰かと問われれば、
加藤周一の名を挙げないではいられない。

加藤周一は尊敬する人物の一人である。



出会いは、私が浪人中の時。

歳はまだ18~19歳の頃。

朝日新聞にて連載の「夕陽妄語」がきっかけだった。

当時は文一に行こうと勉強していた時で、ただ、本当に文章を読むのが

大嫌いで大嫌いで仕方がなかった。


そんな時に、加藤周一の文章を読んで、

「世の中にはこんなにすごい人がいるのか!」

と感銘を受けたものである。

私の文章アレルギーもいつの間にか無くなるくらいの感銘だった。


浪人中は感銘を受けて少々のめり込む程度だったが、

大学に入ってからは、そんなもんじゃあ済まなかった。


加藤周一の著作をいろいろと探し求めていたら、

『翻訳と日本の近代』という、丸山眞男と加藤周一の会話形式の本に出会った。

大学に入ってまだ2週間くらいのことである。


これが、私の大学生活を決定づけた。

あ、政治思想をやろう、と。

加藤周一と丸山眞男、この2人はとにもかくにも凄い、

心底そう思い、種々の書物から刺激を受けた。


丸山眞男も博学だと思うが、

加藤周一はもっと広い。

この人の知的関心には本当に圧倒される。

「知の巨人」とはまさにこのことだ。



私は二回だけ加藤周一と会ったことがある。

一度目は東大駒場での、「学ぶことと思うこと」。

一緒に連れて行った知人は話の内容がさっぱりわからないかったそうだ。

硬い話も相当混ざっていたが、慣れ親しんでいたので私は平気だった。

何のために学問を学ぶのか、問題意識を持つことの重要性を話してくれた。


二回目は、東京経済大学だったか、そこで彼の講演を聴きに行った。

「教養の再生のために」がテーマだったかな。

そこでは、サインを貰い、握手をしてもらった。

眼光鋭く、今尚衰えていない鋭さを感じたものである。

一つ残念だったのは、私が彼の著作を持っていかなかったこと。

どうせサインを貰うなら、『日本文学史序説』の上下初版本にして貰いたかった。。。

未だに悔やまれる失敗だ。



今となっては古臭い言葉になってしまった「知識人」、

加藤周一は最後の知識人であったように思う。

幅広い教養と鋭い問題意識を持った人物は、日本には多分もういない。