練習中「キンコ!」と呼ぶ大人がいた。ヴェジット時代六年の健勇のツートップの相方四年生の翔貴の親父さんだった。

何かのいたずらか?この翔貴がプロサッカー選手にならなかった事は今だに信じられない。プロサッカー選手になっただけではなく結果も残しその分お金を稼ぐ選手になっていた。顔も男前。ルックスもいい身長184センチ。

話は戻し、親父さんが子供向けのボクシングジム🥊を本格的にスタートする。

「古い寺を買いました、そこでやる」

この親父、知る人は知る。大阪帝拳ジム辰吉丈一郎が全盛期の頃の辰吉丈一郎の一つ後輩。めちゃくちゃ強かった。でもそれ以上に辰吉丈一郎は強すぎ。当時まだ辰吉丈一郎が無名な頃、大阪で強い噂があったので練習相手がいない、スパーリング相手がいない。潰されるから…母校はボクシングが強い。インター杯チャンピオンがいる。辰吉丈一郎が母校に試合しに来る。インター杯チャンピオンにストレート一発でリング外に吹っ飛ばす😝

この親父さんの武勇伝は多過ぎ😝

高校入学式に出席してそのまま退学になる。金の母校の後輩にも当たる。母校始まって以来一番早く高校を卒業した男。

朝青龍との喧嘩事件。なんぼ親父が喧嘩強いと言っても当時横綱の朝青龍に敵わない。ましてや一室での喧嘩、親父はこの場から逃げる事だけ考える。朝青龍の喉ちんこを殴ってそのまま逃げる😝親父に「何で喉ちんこや?と聞くと「キンコ。朝青龍身体全体が岩、俺のパンチなんか通用しない。喉ちんこは鍛えられない」この親父に人生を教わる。

まだまだありますが金が一番好きな武勇伝は?

ジム会長から「ボクシングを取るか?女を取るか?」

親父は「女を取る」今の奥さん。そして翔貴が生まれる。

現在は右肩上がりの会社社長。

余裕が出たんやろうなぁ…子供向けボクシングジムをする夢を…

「キンコ、開校したら遊びに来て下さい」

「しっかり祝儀持って行くわ」