ルイラモスヴェジットは来年3月末に福島Jヴィレッジで復興祈願少年サッカー大会に招待される。

2012年から毎年ウジョンカップに参加している(招待、最初の5年間ぐらいのパワーはないですが、できる事をサポートしている)チームから招待状が届く。

繋がり何処でどう生まれるか分からない。

2011年3月11日東日本大震災が起きた。原子炉発電所付近に住んでいる人たちは各県に疎開した。

一人のお母さんからメールが届く。

「福島県から京都に疎開してきました。子供たちがサッカーできる、サッカーボール。組み立てゴールを寄付して下さい」

ボール20個、小さなゴールを届けました。

翌年2012年。京都に疎開していたお母さんからメールが届く。

「弟が福島で少年サッカークラブの監督です。ウジョンカップに御招待お願いします」

この夏のウジョンカップはコロナウイルスで不参加ですが、2012年から2019年までウジョンカップに出場しています。

ちょっと落ち着いたので(全日予選)来週福島に行って来ます。

あれから10年。

来年3月末に福島に御招待される前に福島に行ってみんなに挨拶に行く。

この目で見たい。福島原子炉発電所の付近。言葉に語弊があればお許しを。

もう一つ、福島に行く目的がある。

2011年3月11日東日本大震災が起き福島原子炉発電所4号機(大熊町)から放射能漏れをする。

2011年のウジョンカップに金が招待した福島県のチームが大熊町少年サッカークラブだった。

12歳だった大熊町少年サッカークラブのメンバーたち。

22歳になっている。

今何処で何をしているのか?

放射能汚染で大熊町は人が出入りできない。

当時監督が原子炉発電所で仕事をしていた事は分かっている。

便りはそれだけ。

でも、監督は探せると思う。





金がウジョンカップの冊子に描いた20年後。

キンコは復興とは?「地元に戻り普通の生活をする」

20年後2011年ウジョンカップに出場した福島県大熊町少年サッカーチームのみんなが地元でラモスさんを招待して「ウジョンカップ同窓会」を開く。

この続きがあります。金はもうこの世にいないのだ。

同窓会にはラモスさんと金に届いていた。😝