靭公園 大阪最古のテニス会場がある。

靭公園の前に大阪サッカー協会があります。

大坂なおみ選手は大阪生まれ、3歳からテニスを始める。

靭公園にあるテニスクラブでスタートする。

金は靭公園と聞くとテニスコートより、イングランドプレミアリーグで使用するサッカー専門スタジアムを思い出す。

靭公園にあった。天然芝でピッチと観客席が3メートルしか離れていない。

全国高校サッカー選手権大会が首都圏に移る前、長居陸上競技場と靭サッカー球技場で試合をする。

当時、三菱ダイアモンドサッカーをテレビで見る人は今で言うとオタクに近い。

金は靭サッカー球技場とイングランドプレミアリーグのサッカースタジアムが似てると少年の頃感じていた。

全国高校サッカー選手権大会が首都圏に移ると靭サッカー球技場は無くなる。

もう37年前かなぁ…

金は22歳の時、靭サッカー球技場で、当時「幻の高校サッカー日本一」と言われていた 東京朝鮮高校を全てこっち負担で招待し、近畿高校サッカー選手権優勝チーム北陽高校と対戦を企画した。

北陽高校サッカー部監督野々村先生が、この若僧金に深々と頭を下げて挨拶して頂いた事は今も忘れない。

この企画は大成功。靭サッカー球技場は満員。

試合後、ある人に「素晴らしい、金よ。これが興行と言うんだよ」と褒めていただいた。

この人は当時不動産王と呼ばれていた。

それから金は調子に乗り、ブラジルプロチームを呼んだり、ブラジル選手を日本に連れて来て売り込んだり、挙げ句の果てブラジルでサッカー学校を作ったり、全て失敗をする(笑)

残ったのは借金と脳梗塞の後遺症。