金が少年の頃、夢は日本リーグに加盟承認が許可が出なかった当時幻の日本一と言われた在日蹴球団でサッカーをする事だった。

当時、日本リーグは実業団チーム、日本経済をリードする企業、三菱、日立、古河、新日鉄、東洋工業、日本鋼管、ヤンマー、名相銀だった。

クラブチーム、読売クラブ、日産、フジタまだまだ先の話。

当時、在日蹴球団は日本大学サッカーでエース級の選手が集まって結成されたチーム。関学の李、中央の金、立教の安、早稲田の金、順天の金…在日の人たちがお金を出しあった異色のチームだった。

当時の日本リーグチームも昼は仕事をして、夕方からサッカー練習をする。

でも在日蹴球団はサッカーだけして給料が貰えて、一年の半分は全国を回って親善試合をする。

腕さえあればサッカーで飯が食える。金は少年、中学、高校と必死でサッカーに打ち込んだと自分で自負しています。タバコも酒も遊びもしなかった。

高校三年の時、実習先生で一人の大学生が二週間サッカー部の練習を指導してくれた。

のちに与那城ジョージ、ラモス瑠偉から「日本でナンバーワンの選手」て言わせた金光浩さんだった。
金は光浩さんのプレーを見て在日蹴球団でサッカーをする目標を捨てました。世界が違う。日本代表になった同期生の西村(のちに日本サッカー協会技術委員長)よりサッカーが上手かったことなんか屁の突っ張りにもならない。

プロサッカー選手を諦める時は他人が決めるのではないと思います。自分で分かる。

違う道も素晴らしい…と講釈する事も要らないと思います。

あくまでも金の個人的な考え。

少年がサッカーが好きになり、夢中になればプロサッカー選手になる目標は当然です。