第1回ウジョンカップ優勝チーム明治北、大会MVP清武、監督新庄先生。

清武が欧州からセレッソに戻ってきた。セレッソトップの練習場はウジョンカップ会場の30メートル隣にある。この夏のウジョンカップに新庄先生が会場に入れば必ず清武は現れる・・・そんなイメージを描いて金は動いた。外堀から埋める。5月大分で親たちにお願いをした。

「新庄先生が動けば・・・」

昨日最終のお願いの電話を新庄先生の入れる「先生、冥土の土産と思って金をお願いを聞いてください」

無理だった。

確かに明治北は第1回優勝チーム、清武が2年間ヴェジットでホームスティーもした。それよりも金は新庄先生に恩がある。

息子テウの時代がヴェジットで一番強いチームだった、この学年の主力8人はそのまま同じ高校に進む野洲が全国制覇、乾が居る時、ベスト8で対戦にてPK戦で負けたが旋風を起こした。

この子供たちが6年の時、全日本少年サッカー大会出場資格がこの年から大阪少年4種ルールができて、8人の内5人は試合に出場できないルールだった。これは完全にヴェジット向けのルール。

当時の少年委員長はFIFAルールを持ち出した。外国人は試合に出れるのは3人、ベンチ入り出場含めて5人。それを理論化する為に国籍欄を設けて少年の国籍を記入する。抜け穴はあった、もし「金」なら「金本」で国籍欄に「日本」と記入すればOKなのだ。これっておかしくない。

親は将来子供の為、どのように進むかは決めるのであって、全日大会予選を出場する為のこのやり方は金は我慢できなかった。

新庄先生に手紙を出した。先生は西日本少年サッカー大会のパンフレットの中に「大阪のヴェジットの金さんが苦しい立場にある」とチラシを入れてくれました。

金は新庄先生に受けた恩は今もお返しできていない。

この夏ウジョンカップには明治北チーム、新庄先生は来られないが、金は「明治北新庄枠」を設けました。

*余談だが、一年後、国籍欄は排除され、日本に住むすべての国の少年たちが全日大会に出場することになる。だが、一番強かった6年生全日前主力5人がヴェジットから去る。