2012年、三女が通っていた小学校に統国寺の住職が「法事(チェサ」お供え物の並べ方などの説明に来られた。金は福島県大熊町SSの選手、親たち70人を泊めてくださった御礼と感謝の意味を込めて住職に挨拶に行きました。

大熊町は福島原発4号機のある町の少年サッカーチームです。2011年夏のウジョンカップに出場する。

会話はしていません。ただ、おじきをしました。公の場所でみんなが見ている所で住職に会話をする?もし、会話をしていたら金は人間失格です。

住職は「法事」の話は20分ぐらいで、あとは、東日本大震災、神戸大震災の話をしました。金はもしかして、住職は俺に「よく聞くんだ」と言っている気がした。

住職は「みなさん、一瞬にして家族、友人、大切な人が、何も伝えられずに亡くなれば・・・残された人はどれほどつらいですか…」と話された。

住職は神戸大震災で主人を亡くされた奥様の手記を話された。金は住職のお話を完璧に言えないので、金が聞いて感じた表現で話すのでご理解をください。

手記を書かれたお母さんは一人娘がいます。ご主人は神戸大震災で自宅が崩壊して崩れ落ちた物に体を挟まって動けなくなり、火災でお父さんは亡くなった。その時、挟まって動けなくなったお父さんの横に5歳の娘がお父さんの手を引っ張っている。幼い子供が頑張っても抜けない。

お父さんは、火が近くまで近寄っているので、5歳の娘に「家の外に出なさい」と。

震災から18年経って5歳の娘が結婚をする。お母さんには大震災はまだ深く忘れられなく記憶に残っている。お母さんはお父さんが「私を結婚して幸せだったのか?楽しかったのか?愛していたのか?」歳月が流れても、その事だけが浮かべる。

結婚式の前日、お母さんは娘に勇気をもって聞いた、震災後、お母さんは娘にお父さんの話は一切しなかった。5歳の娘が心に受けた衝撃を考えたら言えなかったと話す。

お母さんは「最後のお父さん、何を話していたの?」

「火災で家に残されたお父さんが、大きな声でお母さんの名前を叫んでいたよ・・・」

もう書けない。