テウが7歳長女が5歳次女が1歳。寝ていたら大きく家が揺れた。テレビを付けると目に映ったのは阪神高速道路神戸線が倒れていた。この道路はサラリーマン10年間やっていた時、毎週通った高速道路。信じられない事が起きている。

2011年の5月、ばったり滋賀で五十嵐先生の息子しゅーとに会った。彼は関学2回生だったと思う。大きなリュックを背負っていた「どこ行くの?」「大学生の仲間たちで瓦礫の撤去に行きます」と言った。

22年前、物資を持って神戸に数回行った。目見写るんは今まで見たことがない衝撃、ショックを受けた。2階建ての家は1階が崩れている、10階建てのビルは傾いている。総合病院も傾いていた。

ある崩れた家に張り紙が貼ってあった「人の家をジロジロ見るな!」と書いてあった。気持ちがどんどん後退していたことを思い出す。

6434名の人が神戸大震災で亡くなられた、一番被害が大きかったのは長田区だった。零細企業が密集している町、金がサラリーマン時代、週一は必ず配達に行った・・・