30年来の友人と昨日、鶴橋で会った。

韓国でプロサッカー選手として活躍して試合中、膝の十字じん帯を切断、リハビリで現役に復帰したが韓国サッカーは当時は朝練もあり、朝から10キロの走り込み、練習が苛酷なので膝が持たない、28歳で現役を引退。

兵役免除されるぐらいの結果を残した選手だった。彼はアメリカで留学する準備で日本に立ち寄った、そこでテレビで見た全国高校サッカー選手権大会。
「韓国ではない、試合に負けて高校生たちが泣いている、感動し心が動いた」と話す。

彼は「私に3年間、高校サッカーを指導させてくれれば、全国に出場させます」今もそうだが、性格が思ったら突っ走る。でもそんなに簡単にいかない。誰が信じる(笑)

彼は日本の教師の免許を取得する、大型バスの免許も取得する。

担任も持ち、寮長もやり、練習は朝練、夜錬もする、10年間で全国高校選手権、インターハイ県代表10数回出場する。
その後、韓国に帰り、Kリーグチームコーチを、そして母校の成均大学サッカー部監督に就任、13年間指導して全国大会優勝3回、準優勝4回。

韓国サッカー協会にも貢献した。3大会連続W杯協会スカウディングスタッフとして現地で仕事をする。もちろんPライセンス(プロ監督の資格)も取得している。

彼がまた日本に戻って来る。

「なんで、いつもそんなに無理するねん、韓国で高額で監督オファーがあるやんけ、サムニン(奥様)に苦労させるのか・・・」

「韓国でオファーはある、チーム立ち上げてほしいとの話もある、それは誰にもできる、後輩たちがすればいい・・・俺しかできない事をやる、お金はどうでもいい・・・」

金は一度だけ彼が日本来てほしいと思い動いたことがある。J2チームが昇格を狙っているチーム関係者に動いたことがあるが・・・

彼が前に進むのが止める時は電池が切れた時。死ぬ時やぁ・・・
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