水曜日、大阪テレビで「たった一度の約束」を偶然に見た。テレビのチャンネル権は娘たちにあるので、一階のテレビのある部屋に追いやられた。
 
梅屋庄吉って凄い人物と思った。すべてにパーフェクトな偉人伝ではなく、目茶苦茶はてんろうな人で・・・あとで自分の感想を話します
 
ちょっと検索した。梅屋庄吉で・・・実業家、アジア主義、日活の創業者、そして吃驚辛亥革命(中国革命・清朝を倒す)を指導したあの孫文に多額の資金を提供した。孫文に絶対的に信頼されていた。
 
僕は若い頃、司馬遼太郎の小説「竜馬が行く」を読んで、こんな生き方をすると力んだ時期もあった、心が折れそうになった時「竜馬が行く」を読んで頑張れた時期もあった。
歳が取るにして「龍馬が一人で薩長連合、大政奉還、などできたのかなぁ・・・何故暗殺される時期、隠れていたのか?日本が龍馬が本当に必要だったら薩摩も長州も土佐も幕府も龍馬を守ったのではないか・・・
 
でも、若い頃元気を貰った小説には今も変わらない。
 
梅屋庄吉は僕から覗くと、僕が龍馬大好きな所の部分だけ持っておられる・・・
 
相場に失敗し海外に逃げる。香港で写真術を学び、写真館を経営してひと山当てる。孫文に資金提供していることを密告されてシンガポールに逃げる、シンガポールで映画に出逢う、日本に映画を持ちこみひと山を当てる。中国で娘3人を育てる、道端で物貰いをしていた子供を自分の養子にして育てる。日本で孫文に資金提供をしている事が分かり、憲兵隊に連行される。梅屋庄吉は莫大の財産はすべて孫文に資金提供をした。
 
梅屋庄吉は10歳の時、海の溺れ、死んだが棺桶に入れて葬式の準備している時に息を噴きかえる(笑)梅屋庄吉の親父は息子(庄吉)を勘当して一人の女性を養子にする。相場に失敗して逃亡していた庄吉が実家に戻って来た。親父の条件は養子にした女性と結婚することた。結婚してすくに庄吉は香港に行く、9年後養子(結婚した)に来た女性が香港まで庄吉に会いに行く。香港でイカサマ博打打ちの日本人やくざを一騎打ちの賭博をして勝って、親分と子分を写真館の仕事をさせる。
 
庄吉が亡くなる時期、部下が尋ねる・・・
 
「社長は何故、多額の資金を孫文先生に提供したのですか?・・・」
 
梅屋庄吉が孫文に資金を提供した理由に僕は涙が止まらなかった・・・こんな人間(世界)、こんなアジア人、こんな日本人見たことがない・・・
 
孫文が梅屋庄吉に贈った「同 仁」この文字に隠されている。