ブラジルでサッカー留学を始める。無謀だったと思う、今なら分かるが、あの時はイケイケ。でも楽しかった。ブラジルで出会った人たち、町並み、空気。一言で全てがファンキー(陽気)

ブラジルで一番衝撃を受けたのはサッカーより、日系ブラジル人の当時70歳のお父さんでした。お父さんの息子さんの家で泊らせてもらった。*サッカーの話は後で話します。

戦前、日本から中南米に移住された人が大勢おられます。フロンテァ精神がなければ移住は出来ないと思う。高槻FC樋口先生が言われていましたが「2年間は奴隷だよ」想像がつかないご苦労があったと思う。先生は「でも夢があった」と話す。今度樋口先生を囲んで高校の同級生たちと一緒に食事をしながらお話を聞きたい。

僕の出会った日系ブラジルの人は戦後直ぐ、ブラジルに移住された。理由を聞くと「戦後日本が食糧不足なので子供たちが餓死をする。若い元気のある青年は日本を離れて移住するようにと日本政府から・・・」70歳のお父さんは奥様と4人の子供とブラジルに渡った。100キロの米を日本政府からもらって一ヶ月かけて船で・・・

当時7歳だった息子さんは「ブラジルに行くとコーヒーをいっぱい飲める」と嬉しかったと話す。子供は無邪気。アントニオ猪木さんも樋口先生もそんな感じで幼い時、ブラジルに渡ったのかなぁ・・・

サンパウロに日本人街がある。ここがまた強烈だった。

続く・・・(未定)