ちょっと違う、男の子と女の子。

2年前のブログに奥田聖子の話を書きました。10数年前、読売クラブで活躍していたラモス選手を大阪生野区民ホールに招き「生野をサッカー少年の町に!」とサッカーフェスターを開きました。

当時は私のセンスが認められず、教育上良くないと批判とブーイングの嵐だった(笑)区民ホールは子供たちで満員、開演1時間前から100人は並んでいた。

私の演出は?サンバダンシングチームが踊りながら舞台に上がる。舞台でサンバのリズムで踊っているダンサーの間にラモスさんがサンバに合わせて舞台に上がる演出だった。

ラモスさんが舞台に上がった瞬間、ガキたちが一斉に舞台に上がってきた(笑)興奮が爆発したのだ!サンバチームは20歳前後の女性で乳首を隠すだけのブラジャーと当時まだTバックパンティーが流行していなかった、正しくTパンティーだった。

ガキたちはダンサーに触るわ、抱きつくわ、舞台で暴れるわ、舞台から降りろ!と言っても聞かない。ラモスさんに絡むわ、ちょっとオーバーに言うとガキの暴動化した。

ガキたちが静かになったのはラモスの怒りだった「この馬鹿やろう!」とマイクで怒鳴った・・・

フェスター最後に友人安田悠二のスーパーイリューションマジックが行われた。最後が良しであれば・・・(笑)

何とか無事に終わって、控え室で一人の10歳の女の子をラモスさんに会わせた。その女の子は天才サッカー少女、ラモスさんは聖子が一生懸命話すのを聞いて少女を抱きしめて
「明日、一緒に東京で行こう、金さん、東京の病院に連れて行く・・・」

少女は難聴だったのです。その後少女は何度かラモスさんに会っている。少女は28歳になったのかなぁ・・・

同志社大学を卒業し、海外留学も経験。少女が11歳の時、私はブラジルに連れて行っています。

少女の夢は世界の難聴の人たちとコンピューターで話せて、一緒の仕事を分かち合いたいと話していた。

サンバ事件を話すと、この話も言わなければならない、ウジョンカップ2次会でストリッパーがGP小俣先生の前で気合入れて踊った事件、「俺たちは悪徳金融業者の懇親会ではない!俺たちは少年サッカー指導者の集まりだ事件」