全日本少年サッカー大会で一時代を作り上げた浜松トレセン(JFC)がこの夏、ラモス瑠偉杯争奪ウジョン2011に蘇る・・・

実は理由がある。昨年のウジョンカップの予選リーグで優勝候補埼玉の新座片山が1位トーナメントに進めなかった。

個人的に私は川原さんが好きなので、死のグループを作って予選1試合目から川原さんのテンション上げるのだ(笑)周りが盛り上がる、乗ってくれる(笑)

グループはセレッソ大阪Jr、オオタFC、EXE、浜松イエローセブン、新座片山。1位だけが決勝トーナメントに上がる目茶苦茶なリーグ戦です。

新座片山はセレッソに2対2で引き分け、オオタ、EXEを寄せ付けず、浜松セブンイエローに12点を入れて快勝だったが、その後セレッソがセブンイエローに13点得点した。得失点差でセレッソが1位通過。

私は川原さんに呼び出しを食らう(笑)

「金ちゃん・・・」

つづく。

川原さんが「金ちゃん、うちがあと5点を入れれるとチャンスを物にできなかった事が原因」ウジョンカップが終わり一ヶ月後、松下藤平さんから電話があった「金ちゃん、来年は浜松トレセンで参加するので枠を空けといて・・・」

松下さんと言えば浜松では蒲の故鈴木先生、芳北の松下さんとドン的存在だ。中部地区の委員長など長年された。浜松JFCの監督もされた。今から話す事は直接松下さんに聞いた話「清水FCを追いつけ追い越せその目標でJFCが活動を始めた、全国に7度出場して3回全国制覇、ベスト4が4回、十分目的は達成できたと思う・・・」

ウジョンカップは強いチームだけ集まって試合をする大会ではない。強いチームだけ集める力も実力も信用も私にはない。

一つだけ心に決めている事はお世話になったチームが今現在、弱かろうが、メンバーが揃わなくてもウジョンカップに参加してもらう、メンバーが足りない?宮本さん、栗牧さん、川島さんとこのチームの選手借りればいい・・・問題はない。

イエローセブンチームは中部地区7チームの5年生選抜チームだった。

実は私は松下さんには頭が上がらない。昔、どんでもない事をやらかした。

つづく

ヴェジットがスタートした時、初めての遠征先は静岡県と決めていた。私は怖いもん知らずなので静岡県サッカー協会に電話をして「初めての遠征をサッカー王国静岡と決めていた。清水、浜松で大会を組んで欲しい・・・」

後で分かったが、松下さんに静岡県サッカー協会は全てを頼んだらしい、浜松では蒲と決勝戦をして優勝。清水では8チームでリーグ戦6勝1引で1位でした。

テウの年、この学年高校時代2年連続全国高校サッカー選手権大阪代表。

話は戻し、翌年の6月頃、松下さんと小長井さんが「8月末大阪に遠征する」と言い出した。それがウジョンカップの始まり。お世話になった松下さん、小長井さんに恥じを欠かすまいと強いチームを集まってもらいました。

第1回優勝チームは明治北U-22日本代表の清武が大暴れした大会、清武も暴れたが新庄先生も暴れた(笑)

つづく。