雷警報で京都洛南での練習試合が途中で中止になった。

私はその足で大阪弁天町にある交通博物館に向った、43年ぶりです。私の頭の中では楽しかったイメージしか残ってはいない。

「低学年、喜ぶやろうな・・・いや、高学年も喜ぶやろうな」と思っていた。でも一番楽しくないと感じたのは子供たちではなく私だった。

昔は新幹線、寝台列車、食堂車、機関車、セスナー、観光バスの中に入れたのに、今は入ることが出来ない、私が子供の時は自由には(ボタンと言うボタンは押しまくった、ハンドルと言うハンドルは触った、食堂車に食べ物禁止なのに持込み食べたものだ、警備員に注意される事が逆に興奮して遊んだ)

立ち入り禁止の内容が書いてあった「貴重な文化財です」現在の子供たちが出入り禁止になったのは私たちの時代貧乏人の悪ガキに問題があったとちょっとは反省をしている。

学校の教室ぐらいの場所に色んな電車の模型が走る、満員になるので私は20分前にヴェジットの子供たちを椅子に座って開始を待った。周りが暗くなり開始だ。始まって直ぐヴェジットの子供たちは私に黙ってその場を脱走したのだ。(涙)

博物館が閉まる15分前に子供たちが交通博物館に興味を持ち遊びだした。またチャンスがあれば交通博物館に行くつもりだ。

子供たちは大人が考えているより考えがシャープだ、上手に遊ぶ。探偵ごっこで遊ぶ、面白い、博物館なので隠れる場所はいっぱいある。「何処何処の電車の横」とか「ひかり号のつなぎ目」とか遊びながら電車の名前、形を覚える。

探偵ごっこで最後まで見つけられなかった少年はキンコでした。まだ奴らに遊びでも負けない(笑)

話を戻し、雷警報・試合中止・交通博物館このフットワークはここ数年できなかった、若い時出来ていた事が出来なくなっていた。歳のせいもあるがもっと大事な事が分かった。

つづく