アントニオ猪木さんが今、大ブレークだ。

次女に聞くと5月9日(日)大阪でアントニオ猪木50周年記念イベントがあり、猪木さんから200枚の招待券を貰ったらしい。

「アッパ、プロレスの試合やった。顔から血がいっぱい。顔が生レバーみたい・・・」次女は猪木さんがプロレスラーとは知らなかったみたい。血みどろのレスラーを見て次女はじんましんがでたらしい。(笑)

七千人が集まった。次女に聞くと猪木さんが出てくるだけで会場が「ウォー」と燃え上がる。「元気ですか! 元気があれば何でもできる。」また「ウォー」と燃え上がる。

前にブログで書きましたが、猪木さんの祖父の話。早くに父を亡くした猪木さんは、祖父と母と11人の兄弟とブラジルに移住する。

父の変わりの大黒柱祖父が、ブラジルの土を踏む前にブラジル行きの船で、赤道の真下(ベネズェラの沖)で亡くなった。

古本屋で50円で買った猪木さんの本には当時の事をこのように話している。
「祖父は水葬された。日の丸の旗に包まれ、大西洋に沈んでいった。この時、汽笛がボォーボォーボォーと三度、寂しそうに鳴った。その音が今でも聞こえる事がある・・・」

25年後、祖父の亡くなった理由が猪木さんの「元気があれば、何でもできる!」の本に
書いてあった。
人の死に笑うのは人間として最低です。でも、猪木さんの単語の並べ方が、笑うのを我慢するほど、息が出来ないぐらい苦しくなる、祖父の死の真相。

つづく。