最終日の会場で新庄先生に会った。久しぶりにヴェジットが1位パートリーグ戦に進んだ。(予選リーグ3勝1引き分け1位リーグ進出)明治北、中井など九州の強豪5チームで総当り。1勝1敗2引き分けで中井、明治北に続いて3位の成績。九州の仲間に個性が強いチームと褒めてもらった。

私は懇親会で「のがき」で暴れたが、ある人の前で「のがき」たかったが 出席されていなかった。ある人とは新庄先生、大分少年サッカーのドンだ。

私は先生に「ああだ、こうだ」は言わない。先生は昔から私の気持ちを察してくれる。

「先生、俺は次に進むステージが無いとこで サッカーをやりました」と屁の突っ張りにもならないが、自分の経験を話した。

私が公式戦を経験したのは社会人サッカーリーグが最初です。当時大阪社会人1部リーグで5連覇を達成。1部で優勝すると自動的に関西リーグに昇格、日本リーグ2部、1部に力があれば進める。私の所属していたチームは全員在日コリアン2世、3世で編成していたので サッカー協会の規定でチームに外国人が登録5人、試合に出れる選手は3人なら 次のステージに進める。なので私たちには次のステージがなかった。別に何とも思わなかった、当時Jリーグが存在した訳でもないし、サッカーで飯を食べる意識を誰もが持たなかったと思う。週1回の練習、試合終わるとみんなで風呂に行って飯たべるのが楽しみだった。

それが、とてつもない話が大阪サッカー協会から舞い込んできた。5連覇のご褒美に 長居競技場で行われる親善試合、日本代表対ソビエトの前座試合が決まった。

前座試合の相手がなんと大阪出身の日本リーグ選抜だ。ヤンマー中心に田辺製薬、大阪ガスの選手、監督が釜本さん。嘘みたいな話だが本当です。

大阪サッカー協会は 私たちの実力を認めてくれていた。 つづく・・・