彼女は 私が 日本生まれ、日本育ちである事を 最初は知らなかった 韓国からサッカーコーチの仕事するために 日本に来たと思っていた 戦前、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんが 日本に渡って来た私は3世です ある日、自分だけ分かるように メモしていると 彼女に注意された(金さん 日本語は漢字もありますが ひらがな、カタカナもあります 金さんがメモした カタカナ「ッ」と「シ」がわかりにくいです)と 書き方を私に教えてくれた(笑)私の言葉の表現に問題があれば 次回のブログで直します、消します(すみません この歳になって文章力の無さを反省し、伝える事の難しいに痛感しています でも、これを書かないと彼女を伝える事ができない)難聴の背負っている人たちと お話しをする時、少し聞き取り難い時がある でも、一週間も経てば普段と変わらない 彼女と初めての会話・・どう話せばいいか分からなかった お母さんが(金さん 娘は金さんに唇を見て 全てを理解したいます 好きにお話してください)誤解される事 承知で 俺たち健常者気取りしている側は 障害を持っている人を 気を使っていると思うだけで 障害を持っている人たちが 俺たち健常者気取りしている側を 気を使っている
本題のラモスさんとの出会い・・Jリーグがスタートする2年前、私はサラリーマンを辞めて サッカーをビジネスにする事を考えた 当時テニスコートが余っていて 人工芝グランドを 持っている学校は 神奈川の桐蔭高校サッカー部だけ フットサルコートもまだない 人工芝関係者が 私に 営業を一手に任せる話があったが断った 憧れのブラジルで何かやりたかった そして当時の人工芝 グランドホッケーで使用する質だったので(この人工芝では サッカーの楽しさを表現できない)と断った 今の人工芝の質なら やっていたかも知れない 私のアゴ(情熱)を持ってすれば 今頃ひと財産残していたかもしれない ラモスさんが 初めて大阪生野に来た 開演前区民ホールの外は 人でいっぱいだった (ラモスが生野にやって来た)が開演すると どんでもない事が起こった ガキ(少年)たちが 発情してしまった 原因は私にある 神戸のサンバダンシングチームを 呼んでしまった 腰がくびれたピチピチの女性20人 まるで区民ホールが ストリップ小屋みたいに ガキたちが がぶりつきをしていた(笑) つづく(一週間ほどブログを 休みます)