私がブラジルでお世話になった、日系ブラジルの人が(私の親父が、なぜブラジルに渡ったか・・)その話を聞いて 私は本当に驚いた。その前に、樋口先生が 江南南をこのように、評価している、(パーフェクトだ、全てに取って・・一つ例を上げると、ボールを止める動作がミスしても、ミスに見せない ワンタッチで何処にボールを置くか?それ以前に 江南南の選手はミスと思ってはいない、トレセン、Jジュニヤとは 何か違う、少年サッカーに携わる 私たちは強い少年チーム作る前に、その部分を子供に意識させると、自然とチームは強くなる)この話のつづきは試合会場で樋口先生を見つけたら、聞いてください。話を戻し ブラジル移住を決心した理由は?・・第二次世界戦争が終わって 戦後、日本が食べるのがやっとの時、日本政府がブラジル移住計画があった、いろいろな
考えで移住された日本の人がいたと思います、今からお話する事は私が直接、ブラジルでお世話になった 日系ブラジルの人の話です、日本政府は当時の働き盛りの大人たちに、将来日本の柱になる子供たちに飯を食べさせるたま、移住して欲しい・・そいこには夢を持っていたから、移住を決心したと思うが・・将来の日本のため、日本を後にする 和歌山から妻と子供5人を連れて、国から一人米100キロ貰って 船で一ヶ月かけてブラジルに渡る、当時6歳であったお世話になった日系の人に(寂しくなかったですか?・・)と聞くと(ブラジルで毎日コーヒーを飲める、嬉しかった)子供は無邪気だ、いま、思い出しても胸が痛い・・・ほんの少しのブラジル生活だったが、そこで見た日系ブラジル人の生活が今の私のライフスタイルの基本になっている。つづく・・