高槻FCの監督、樋口先生から電話があった、先生は携帯電話にはかけて来ない。家に電話をかけてくる、長い時で1時間話す、4月末にあった、天王山カップの懇親会でも 私は宇治から京阪電車で帰ると1時間30分で自宅に帰れるのに、JR線京都駅(高槻)周りで帰ったので2時間30分かかりました、樋口先生のお話し相手だ(笑)また快速電車をパスされる、先生は普通に乗ってゆっくり座って帰るのだ(笑)電話の内容は・・全日大阪予選の情報かと思うや、(この夏、ウジョンカップ予選グループに江南南と同じにして欲しい・・)私は先生には はい、分かりました、先生の質問に答える三つのパターンしかないので、問題はない、理由を聞くと、4月初め高田招待で江南南に0対8でちんちんに負けたのだ、樋口先生、いわく江南南は完璧らしい・・全てに完璧だと、ミスする事にも完璧だと・・
私の頭ではついてゆけない、樋口先生は学校の先生でもないのに、年配の指導者たちは昔から先生と呼ぶ、40年前、高槻で最初の少年サッカークラブをスタートしたのが先生だ、
サッカーを指導するため、学習塾を開き サッカーをする子供を集めたそうです。先生は幼い時、大変苦労をされている。幼い頃に両親と一緒にブラジルに渡る、少年時代はブラジルで移民生活をおくられる。10代後半に日本に戻られて、独学で勉強して一発で京都大学経済部入学される。ブラジルでの生活・・昨年NHKでブラジル移民100周年のドキュメンタリーを見ましたが 一言で言い表せないと思う、私がブラジルでお世話になった日系ブラジルの人が (私の親父がなぜブラジルに渡ったか?)そのお話を聞いて 私は本当に驚いた つづく・・・