日遊社と私の関係
私は毎朝仕事前にブログを書きます。
それが恒例になっています。
昨日は自宅に帰ったら嫁子からスマホが壊れた騒ぎで大騒動・・・
私名義のスマホなので会社帰りに販売店に寄りたいと思います。
ここから本題です。
今日は度々私のブログに登場する・・・
日遊社の事をブログに書いてみたいと思います。
時は1990年代の頃、関東の販社さんの中でも最大と言える大手の販社さんでした。
私が日遊社に初めて出向いたのはいつ頃だったか?
群馬県桐生市に『ぱちんこ物語』
※日遊社のおばちゃんで有名
栃木県足利市に『ぱちんこ貴族』
※パチンコ・パチスロ雑誌に頻繁に広告出してた。
2店舗の販売店を置く群馬県新田町の業者さんでした。
私が初めて日遊社に訪問したのも1990年代初頭だったと思います。
特に日遊社の中でも徳さん、桑ちゃん、黒ちゃん(共に店長)とは仲良しになり実機を購入したり反対に販売したりしてました。
40代も中盤になると私の実機収集も加速します。
車もルシーダ、実機が最大11台積めます。
1995~2006年の約12年間が実機を収集したり放出したりする最盛期と言えると思います。
そんな中で、日遊社も桐生市のぱちんこ物語閉店、足利市のぱちんこ貴族は太田市に移転、その後も太田市内を移転してます。
販売店名も日遊社に変更となりました。
最盛期になると年齢もそこそこになり、趣味にお金を掛けられる様になった時期です。
家のローンや子育て卒業です。
何故、私が日遊社を使っていたのか?
裏モノとノーマル台の差別化をしていない販社で自由に試し打ちOK、裏モノを判断するのに試し打ちは欠かせませんからね。
当時、店長だった徳さんとはかなり親密になって一緒に販社を出すか?なんて事も計画していた時期も有りました。
1990年代は実機のコレクションをするとは思ってない時期です。
倉庫には20~50台くらいの実機をキープしつつ、月に5~10台導入すると5~10台手放す感じです(笑)
2000年に入ると、他の販社さんとも仲良くなり、私が欲しかった裏モノのほとんど入手を出来てしまい、入手 ⇒ 放出 ⇒ 入手を繰り返す感じから少しずつですが、コレクションとして残しても?って考え方が生まれてきた時期になります。
日遊社の徳さんから裏モノの問い合わせが来たりします。
そりゃ~日遊社で土日試し打ちして裏モノ判定して買い占めるんだからそうですよね。
日遊社の店長だった徳さんも、裏モノなら待っているだろうって感じですよ。
日遊社も最終地に移転して少しずつ衰退するのですが・・・