最近、誰かと話していたりすると、よく思い起こされるのが前世の記憶。
と言うのは冗談だが、そのイメージは多分何千年も前のもので。
漫画みたいに、自分も相手も獣の毛皮一枚だけを身につけていて。
どこどこで誰それが虎に噛まれたらしいとか、あそこの家のヤツは嘘つきで困るとか。
そんな話をしているイメージで。
結局のところ、コミュニケーションっていうものは、その正確さと情報量が増えただけで何千年も前から本質は変わってないんじゃないだろうかって。思う。
だとしたら、ボクらは日々の生活の中で、何かすごく大切なものが見えなくなってるんじゃないかって感じる。
インターネットの向こうには必ず人がいるってこととか、何千人、何万人って言う数字の裏にも自分と同じように泣き、笑う人がいて。目の前に広がる都会の光の粒一つ一つは生活の灯りで。
何だろう。俯瞰して想像して全体の仕組みを知る能力を高めたことで、リアリティを失ってしまったというか。
これって取り返すべき能力なんじゃないだろうか。今日死ぬかもしれないっていうリアリティを失ったことで、ボクらは安らかに安全な毎日を送ることが出来ているけれども。そのせいで、自分がいま話している相手や、メールしている相手が、何を感じているのかっていうことを敏感に感じるリアリティを失ってしまっている気がする。
もしもこの世に相手の望むことを感じて、それをしてあげられる人が増えたら、この世はもっと笑顔が増えるのに。
そんなことを思った(笑)