笹川良一が、児玉誉士夫の戦前の動きの契機となった人脈を授けた人物である事は意外に知られていないのではないでしょうか。児玉機関は笹川機関だったのだと言う人もいますが、果たしてそれはどこまで本当なのでしょう。戦後も児玉誉士夫は、笹川良一の至近距離でさまざまな怪しい動きを繰り返さしていたのですが、それはジャーナリストの大森実の問いかけにただちに児玉誉士夫の所在を教え、紹介者として若き大森実の前に現れたことからも推量できます。笹川良一と戦後の再軍備派の動きとはどのような相関があるのかは、私には分からないのですが分かっていることを退けたままで、むやみにおどろおどろしく語るのはやめたほうが良いと思っています。まっすぐに是々非々で近現代史の流れの中で読み砕いてゆく動きを続ける人たちがいなければなりません。


巣鴨に収監された笹川良一と児玉誉士夫は、いずれも占領軍は戦犯としては微妙な存在でした。むしろA級戦犯というマイナスの勲章をこの二人は戦後かなり有効に使ったフシすらあります。みずからにマイナスの権威を付与するために巣鴨に収監されるなどという動機がありえたと私が思う理由は、この二人が二人とも太平洋戦争の開戦前に「必敗」を知り得たはずだという確信。そしてその大戦中の4年間敗戦後の準備を行うだけの心の準備と力量を備えていたこと。この事の研究が歴史教科書「日本史A」の視点で戦後国民がまったく知りおくことが無いことが大きな問題だと私は考えています。


動画配信先:

サイダーラジオ7.1 笹川良一の何がどう凄いのか?その1
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