量刑をどう判断する? | 福岡若手弁護士のblog

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福岡県弁護士会HP委員会所属の弁護士4名によるBLOG
(ただしうち1名が圧倒的に多いですが、だんだん若手じゃなくなってるし)

アメリカバーモント州の事例であるが、裁判員制度のあり方等を考えるのに有益な題材であると思うので紹介する。


http://www.asahi.com/international/update/0128/009.html


記事のとおりであるが、要するに、幼女に性的暴行を加えた事件について、裁判所は一旦、被告人に対して禁固60日の刑を言い渡したが、メディアの批判にさらされたことで、判決を3年以上10年以下に修正した、というものである。


事案を詳しく知らないので、報道を前提として検討すべき点を指摘してみると、

1、最初の禁固60日という判決は、被告人に性的犯罪の更生プログラムを受けさせるのが相当と判断したため(刑務所に更生プログラムは当時なく、出所後すみやかに更生プログラムを受けない場合には最大で終身刑とすることになっていた)。

2、事案は最低最悪。まさに卑劣。幼女を数年間に亘って性的に暴行し続けたというものである。

3、被告人は、12歳程度の理解能力しかない。

4、メディアは、被害者感情をないがしろにしている、社会的制裁の側面を無視しているという批判を行った(州知事も辞任を求めるコメントを出したということであり驚きである)。


量刑を判断するにあたり、再犯防止という観点からどのような処遇を行うのが最も適切か、という判断を裁判所が行っていたことが伺われる。しかし、構図としては、事案の悪質さから、一般市民の処罰感情が納得せずに、異例の事態を招いたということのようである。ある意味、頭でっかちの世間知らずのエリートが、訳の分からん判決を出した、ってな感じの批判であろうか。


さてさて。皆様が裁判員であれば、どのような判断を下すであろう(法廷刑の選択の中に死刑がないとして)。被告人が犯罪を行うに至った原因を、被告人の教育及び精神環境の荒廃にあると見て、その原因を取り除くためには、長期間の施設収容よりも、適切な更生プログラムを受けることを強制し、その結果を見るべきだ、と考えるのか。それとも、被告人の更生など関係なく、酷い事件を起こしたのであれば、それに見合った厳刑を科すべきだ、と考えるのか。裁判員を考えるにあたって、思考訓練としては絶好の題材である。


そもそも、現在の憲法理論を前提にすれば、司法権というのは、少数者の人権を保障するために、国民の直接の意思、あるいは多数決原理とは一歩離れた、冷静な真理あるいは原理原則に従った判断を行うことが期待されている。その意味では、本来メディアの批判により裁判所が判断を覆すといった、そういった類の圧力というのはあってはならないものである。


だが、一方で司法の民主化というものは、司法の判断が国民を全く無視した独善に陥ることを防止するために求められている。その意味では、国民の感覚から全くかけ離れた判断を示したということであれば、圧力をかけるということも当然であるとも言えるであろう(ただ、正当な手続きを踏んでいるのかという問題はあることは指摘しておく)。


どちらも一理あるし、一見すると矛盾しそうな問題を融合させようとするものであり、極めて困難なシチュエーションというものも存在するであろう。その中で、自分ならどのような判断を下すのか、ということは、是非とも考えて欲しいところであるし、法教育の中でも触れられるべきであろうと思う。


私自身としては、刑事事件に関わる立場としては、弁護人という立場であるので、裁判所の最初の判断が妥当であると考えるし、裁判所にはそういった観点からもっと物事を深く考えて欲しいと常々思っておるが、それはそれ。別に私の意見に引きずられて考える必要はない。但し、本件において、被害者救済という問題と被告人の再犯防止という問題とが本当に相反するものであるのかどうかについては、各自よく考えて欲しい。


なお、本件においては、今回の問題を契機に、刑務所が性犯罪者に対する更生プログラムを実施するよう方針を改めたらしく、ある意味では、アメリカという国の柔軟な行政の対応に感心させられる。


M弁護士