
なんて書いたらいいか言葉が見つからない。
ただ、思うがまま書こうと思う。
一昨日の夜、ボランティア活動で帰郷していた私は、この写真の場所にいた。
原発から30キロ付近の町だ。
この町は友人や知人も住んでいたし、子供の頃から海水浴にはよくいった町だった。
真夜中に一人ここを歩いた。
友人の祖母の家が崩壊していた。
あたりは一面、瓦礫だった。
町は津波にのまれ、火災で焼失した。
生臭いような、鼻をつく強いにおいがしていた。
テレビで見るのとは、こんなに違うんだ。
画面の向こうの世界ではなく、現実に目の前に悲惨な光景広がっていた。
においも、音も、感触も、すべてがリアル。
言葉もないほど、重く、悲しかった。
月明かりのせいか、よけいに悲惨さを感じた。
本当に涙が出た。
何かに導かれるように、とぼとぼと海に向かって歩いていると、
ふっ…と、線香のにおいがした。
ものすごく生臭かった匂いが消え、
お線香のにおいがしたんだ。
こんな真夜中に、なんだろうかとあたりを見渡した。
お線香のにおいにのって、無念に亡くなった方達の声が聞こえた気がした。
私は手を合わせた。
足元に写真があった。
手に取ると幸せそうな家族の写真だった。運動会か何か。
あたりをよく見ると、瓦礫というのは
実際は、日常でよくみるものと泥が混ざり合ったものだった。
本や写真、衣類、ふとん、CD、食品、家具、家電、家の木材、車、部品、ゴミ、
そういったものが海水と土とでドロドロにごちゃ混ぜになって、流されて複雑に重なりあって散乱しているのだ。
当たり前だけど、人が生活していたんだということを強く感じさせた。
それが、いまやこんなになって。。
壊滅してしまったんだと改めて実感して、よけいに悲しくなった。
正直に言って、この瓦礫の中にたったら、
復興のふの字も思い描けない。
それほど絶望的な場所だった。
家族や友人、家や土地などの財産、仕事、いろいろなものを失った人たちにとって、
復興ということを思い描くことは、
たやすいことではないんだ。そう心底感じた。
重い…。
なんて重い…。
重すぎる。
希望が吹き飛んでしまう重圧がそこには確かにあった。
肩から首にかけて、どっと重くなったように感じた。
げっそりして、近くの友人宅へ帰った。
友人の母親に「どうだった?」
そう聞かれて「ショックだった。泣いた。」と答えた。
友人の母親は言った。
「よく見ておきなさい。これが現実なのよ。テレビではわからない現実なのよ。」
そう言った。
本当にそうだった。
現場の空気は、とても悲しいものだった。
次の日、その町から避難していた友人のばあちゃんと話した。
「ばあちゃん、昨日ばあちゃんの家みてきたよ。ばあちゃん、無事でよかったなあ。」
ばあちゃんは言った。
「家も食堂もアパートも全部なくなっちゃったけど、命あっただけほんとありがたいよ。」
って。
「んだね。命あってなんぼだね。でも、悲しいな。なんでかな。」
って私が言うと、
「悲しいね…、ほんとに悲しい。だけど、それでも命あっただけありがたいんだよ。」
ってばあちゃんは言った。
「そうだな、生きててなんもだもんな。」
私もまたそう言った。
結局、どうしていいかなんてわからないんだ。
これからどうなっていくのかなんて、答えはでない。
ただ、悲しいだけなんだ。
悲しみは笑顔の種だと言うけれど、本当にそうだといいな。
やがて、悲しさが薄れて、
少しずつ芽がでて、花が咲くんだろう。
その日まで、
悲しさを抱いて、一歩一歩生きていくしかない。
ゆっくりゆっくり、立ち直っていけばいい。
また、新しい道が自然に開けてくる。
今回の帰郷は、
肉体的にもめちゃめちゃ筋肉痛になったけど、
精神的にも痛みを伴うものだった。
今は悲しいけど、
きっと、最後にはよくなる。
きっと、希望は絶望を凌駕するんだ。
これからますます、日本が災厄に見舞われるかもしれない。
地殻変動に伴う災害、食料不足、電力不足、放射能汚染、経済危機。
しかし、どんなに悲しみがやってこようとも、
希望の火を決して消さないでいようと思う。
どんなにその炎が小さくなろうとも、
決して消してしまわないようにしようと思う。
最後にはきっとよくなると信じて。
PS:皆さん、もしものために災害時の備えは必ずしておいてください。
これから先、正直何が起こるかわかりませんよ。
きちんとリスクと向き合ってそれに対して備えておくべきです。
それをしてこそ、これからの日々を安心して良い気持ちで過ごすことができると思います。