中村天風さんの本から。
~【悪人と善人】~
いつかある人が私に聞いたことがある。
「先生のところには、どんなことがあっても、機嫌の悪いという人を見たことがないが、
誰もどんなことがあってもお怒りにならんのはどういうわけです?」と言うから、
「それはね、俺のところはみんなね、悪人ばかり多いからだよ」とこう言ったら、その人が目をまるくして、
「先生のところは悪人だらけですか!?」
「そうなんだよ」
まだ意味がわからないから、「どうゆうわけです?」と聞くから、
「私のところじゃ、何か事が起こるだろ。そうすると、『あ、私が悪かった』とこう言う。誰でもいいから、
私が悪かったってことを言って罪を背負ってしまうと、喧嘩にならない。人が一言でも、
『あ、私が悪かった、そこにそれを置いたもんだから、壊れたのね』というふうに言っちまうと、これ、喧嘩にならないよ
ところが、あなた方の家庭だと、善人ばかりだからいけねえ。何か事があると、『私はいいんだ、私は何も悪いことはしてないんだ。あの人が悪いんだ』とこうなるから、
そりゃ好きに喧嘩をやりだすものね。」
~引用でした~
「私が悪かった」ってすぐに言えるってことは、何か事が起きたときに真っ先に「自分の落ち度」から探せる素晴らしい人だと思うな~。
「他人の落ち度」を先に探してしまう人は、「私が悪かった」という言葉はすぐには出ないだろうね。
今の世の中、訴訟大国なんていわれてしまう国もあって
ささいなことでさえ、謝ったらすぐ訴えらてしまうような、そしてそれが賢いっていうような、
変な風潮があるよね。
その感覚はもう、時代遅れなのかもしれないね。
失敗やミスを素直に認めることができなければ、人の修正能力は高まっていかないものね。
何か事が起きたときに「私が悪かった」って言える人も素晴らしいけど、
それを「許す人」も素晴らしいよね。
それにしても、自分の落ち度を真っ先に探せる人ってのは、
「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」っていうように、できる人ほど驕らず、謙虚なんだと思う。
そんな人間になっていきたいものですね。