とうちゃんがこの世になくてもいいと思っているもののひとつに、オリンピックというものがある。

 

もともとはギリシャの宗教的な祭りのひとつで、神々を崇めるための行為として行われていたとか。

 

それが今じゃ、物欲にまみれた銭ゲバじじいどもの、若者努力搾取系イベントに成り下がり、巨額の金が動くもんだから企業も政府も自治体も大騒ぎをして尻馬に乗っかろうとする。

 

あれだけコロナ禍で全世界が苦しんでいたのに、会長のバッハは挙行を強行したが、それは背後に動く金が桁違いに大きかったこともある。

 

ともあれ、オリンピックに夢中になる意味はないし、Vtuberの動画にスパチャを投げるのと同レベルだから、「オリンピック見ないの?」と言われたら「へえ、あんなもんで盛り上がれるんだ。幸せだね」とでも返しておけばいい。

 

高校野球も同じで、過去からの慣例を変えるのが面倒な大人たちの都合と、既得権益(要は金)に群がり集まる醜悪な連中の祭典だと思って静観していればいい。

 

何が平和の祭典だ。ばかじゃねーの?

 

 

一生旗振って踊ってろバカども

 

 

 

 

 

 

次はAIのニュース。

 

 

読書感想文を書かせる風潮が無くなろうがどうなろうが、どうでもいい。

 

書きたくないやつは書かなくていいし、無理してAIを使って書いたところで、そんなものには何の価値もないし、価値のないものを生み出すために嫌な思いをする必要はない。教員側だってAIの書いた文章を読みたくはないだろうし。

 

そもそも読書感想文に代表される作文系の課題は、「自分が向き合っているものに対して自分がどう思い、どう判断しようとしているのか」を自分に問いかけ、自分の心を見つめ直す作業である。

 

たとえば「オリンピックについて意見を述べろ」と言われた時、読書感想文や作文を書けない連中は、うわっつらの感想しか述べられない。

 

「楽しー」「感動したー」「すげー」「徹夜しちゃったよー」とかね。

 

(↑こういう感想しか述べられない連中は多分IQ30くらい)

 

それじゃとうちゃんはどう思うのかというと、先にも書いたがオリンピックは現代の人類には不要である。

 

理由をいくつか書くと、

 

・オリンピック中も戦争は継続しているため平和の祭典の意味を持たない

 

・ただそれ専門のためだけに他のすべての人間的素養を捨てて調整されてきたマシンのような運動選手が傲慢ちきなプライドをぶつけ合ってるだけ

 

・国の代表というプレッシャーがつらかったと言い訳すれば、喫煙飲酒などのルール違反をしても許されると思っている選手もたくさんいるし、周囲の大人たちもルール違反を咎めもせず、逆に将来のために許せという(こういう考えがルールを踏み外しても「やったもん勝ちだよな!」という風潮を後押しするのだ)

 

・意地でも金メダルを取るために薬物ドーピングでバフかけて、運動能力だけは最高だが、薬物に汚染された人間未満の選手を作り出すという国家プロジェクト

 

・何億という金が右から左に動くため、濡れ手に粟の立場になりたい浅ましい欲深な連中がお互いを蹴落とし合って足の引っ張り合いに終始する(スポンサー企業なんか特にそうだよな)

 

・その上、オリンピックに興味がないと人にあらずのような見方をされる

 

・つまり運営も、選手も、それを見て感動しているバカも、みんな醜悪に見えて仕方がない

 

……というふうに、きちんと自分の考えを(その元となる思いと共に)説明することができる。

 

とうちゃんは読書感想文や作文は大得意だが、それは、自分が考えているその思考がどこから来たのか、(それが正しい誤りは別にして)なぜそう思うのか、そういったことに常に向き合うことを怠らずに生きてきたからである。

 

(深入りしすぎて闇を覗き込み、深淵から覗き返されたことも多い)

 

いい年して「自分のことがよくわからない」「どうしたいのかわからない」なんて泣き言を言うやつらは、自分と向き合わずに生きてきてしまい、肉体だけ大人になって頭の中は赤ん坊のままなのだから当然のことである。

 

読書感想文のひとつくらいササっと書けないのは、自分との向き合い方が不十分であることの証明に過ぎず、そんな生き方をしていてまともな人生を歩めるわけがないのは当然である。

 

そしてまた、就職やプロポーズ、結婚式や親の葬儀などの本当に大切な人生の分岐点ですら、友達の無責任な発言や、カウンセラーや精神科医のような他人の言動、あまつさえAIのようなものを利用して、自分で判断し決断することから逃げる。

 

だから、読書感想文が書けないやつが一生不幸な人生を送るのは当然の結果。

 

作文くらい自分で書けよバカども

 

 

 

 

 

次はアホ大学生を採用するアホ企業のニュース。

 

 

語る気も起きないが、こんな写真を提出させる企業の人事は頭がおかしいので落とされた方がよい。

 

つーか、そこまでして正社員にしがみついたって意味ないだろ。

 

自分に何ができるかをはっきりと売り込める人間になっておけば、働く企業がどこだろうが関係ないし、良い職場を選ぶことだってできる。

 

だが、今どきの大学生はアホなので、大手や一部上場、誰でも名前を知っている企業から採用されたら勝ちだと思っている。

 

そんな思考回路で就活しているお前が採用されるわけねーだろ。

 

というわけで、何度も言っているが、ガクチカ写真の捏造に必死になるくらいなら、その時間を使って「ぼくはこれができますが」と堂々と公言できる技術をいくつか身に着けておくべき。

 

アホ企業は潰れろ

 

 

 

 

 

次は気の毒な家庭の話。

 

 

子供を学校にやっている間は生活費が節約できるという、本末転倒な理屈。

 

今の親ってこんなバカばっかりなんだ。へー。

 

子供は自分の分身である以前に家への授かりものだから、血を繋いでくれた先祖への感謝のためにできる限りきちんと育てるべきものだと、俺は思っていたのだが、どうやら前世が犬猫だった連中が親になると、そういう発想にはならないらしい。

 

金がないから共働きも同じで、学童にやってりゃきちんと育つという考えは、責任放棄、いわゆるネグレクトの一種だと思われる。

 

シンママなんて最たるもんで、特にマスゴミが取り上げるシンママはバカばかりだから、シンママとは簡単にやれちゃう、ちょれえ、なんて書かれるんだぞ。

 

 

病死や様々な理由で離婚したならともかく、未婚の母とか最悪。

 

こいつらは快楽を求める霊に憑依されて振り回されて身ごもった自分を正当化したいだけの気の毒な存在だから、相手にしてはいけない。

 

男女の因業に振り回されて人の道を踏み外す者の多いこと多いこと。

 

ああいうのは大体において人間のツラをしていないから顔を見てりゃわかる。

 

まともな人間の顔じゃねぇよ。

 

猿ガキをひり出すなクソ親ども

 

 

 

 

 

続いては、風呂キャンセル界隈。

 

 

汚れている場所には陰の気が溜まる。

 

陰の気は北東から流れてくる清浄の気に当たるとケガレとなって発現し、その場所そのものを曇らせる。

 

曇った場所には浮遊霊や怨霊、動物霊のような低級霊が集まり、そこで群体となって霊団を形成する。

 

もちろんケガレにまみれた悪の霊団のため、ろくな事象を起こさない。

 

何度も何度も人が自殺したり、車が事故を起こしやすい場所は、得てして霊的に穢れている。

 

人間の肉体も同じで、清潔さを保たなければそれは汚れとなり、汚れはケガレとなって霊の住処としてはこれ以上ない快適な場所となる。

 

人間の肉体に憑依した霊はさまざまな悪事を働くうえ、病気にしたり、精神障害にしたりするだけでなく、部屋を汚くすることで自分達の居場所をより盤石なものにしようとする。

 

だから部屋が汚かったり、体が不潔な人間は、霊格も霊層も低い。

 

当然幸せの波動とはシンクロしない。

 

むしろパチスロやFX、風俗などとシンクロしやすくなり、どんどん人間としてのレベルが落ちていく。

 

だから、ああいう連中を行政や医療で何とかするのは無理。

 

触らぬ神に祟りなしという言葉どおり、不潔な場所や人には近づかないことである。

 

もちろん縁を結ぶのなんか論外。

 

だからマッチングアプリは絶対にやるべきではない。

 

 

あれは霊障者同士の交流に最適の環境だと、霊の側でも認知しているそうだ。

 

というわけで、

 

毎日お風呂に入りましょう

 

 

 

 

 

最後に笑える話。

 

 

面白過ぎるから貼っておく。

 

 

羨ましくもなんともない、ホストVSキャバ嬢の人生でした。

 

はい、それでは「ジングルベル」のメロディで、どうぞ!

 

「どっちもどっち~、どっちもどっち~、さだーまーさしー、

 すーだーまーさき、さーだーまーさし、どっちもどっち~い~」

 

やっぱ夜職はアホ(FA)

 

 

 

 

 

 

何で花火って、つい口を開けたまま見入っちゃうんだろ。

 

 

 

 

 

 

追記:

俺がディズニーを死ぬほど嫌いな理由。

 

 

ディズニー好きはキチガイが多い。