先週の透析。 

 

6/17(月)除水量 3500(300残しのため増量は3800)

(前週の除水量3000 ▲800) 制限値の76%
・穿刺こてつくん
・ドライは100kg


6/19(水)除水量2500(月曜の300乗せなので増量は2200)

(前週の除水量3000 ▼800) 制限値の73%
・穿刺えっちー

・ドライは100kg


6/21(金)除水量1400(ドライまで)
(前週の除水量1700 ▼300) 制限値の47%
・穿刺こてつくん

・ドライは100kg

 

 

またまた月曜日に残すようになってきたが、安全のためを思えばどうってことない。

 

むしろ土曜日に出勤を要求されるようになった方がよほど腹立たしい。月に一度は仕方がないので出勤するが、それ以外は誰が何を言おうが出てやるもんか。現場よりも自分の人生の方が大事だ。

 

それに、これにははっきりした理由がある。

 

金曜日のオーバーナイトは重要で、土曜日の朝までにその週に増やした分を全部引かないといけない。ここで出勤予定が入っていなければのんびりと8時間以上かけて引くことができるが、出勤するとなると電車に間に合わせるためにのんびり引いている場合ではなくなる。

 

この時間差がバカにならない上、その後は中2日のため増量も多く、次の月曜日の透析で引ききれず、もちろん残してもらうのだが、結局火曜日に体調不良になる、というルーチン。

 

だから土曜日は出勤したくないのだよ。

 

 

 

 

 

 

さて。今週は地味に忙しく、また体調も悪いので、軽い報告をした後、ニュースを読み解くことでお茶を濁したいと思う。

 

(……とかなんとか言いつつ、興が乗って書いてやんの>自分)

 

 

 

 

火曜日。

 

ふるさと納税で頼んでおいた札幌ラーメンが届いた。いつもは野菜が中心なのだが、たまには加工食品もいいだろうということで頼んでみたのだ。

 

 

だが、塩味はしょっぱすぎてダメだった。

 

 

嫁ちゃん「おーおー、しょっぱいはずや。塩分いくらやと思う?」

 

俺「6g?」

 

嫁ちゃん「10gや」

 

俺「げげええ!」

 

1日の摂取量の倍近い。

 

俺「こりゃ無理だ。もう食べない」

 

嫁ちゃん「大丈夫や。塩味は4食しか入っとらんかってん、次は醤油やで」

 

俺「醤油に期待だな」

 

 

 

 

水曜日。

 

いつの間にか庭のきゅうりが支柱の先端まで伸びており、下の方では実がなっていたのでもいできた。

 

俺「こりゃ楽しみだな」

 

嫁ちゃん「最後には食いきれなくなるくせに」

 

俺「そこは頑張る」

 

 

この日は味噌キュウリにして食べた。

 

 

 

 

木曜日。

 

嫁ちゃんがコストコに行って食材を仕入れてきた。

 

嫁ちゃん「迷ったが、買ってきた」

 

俺「おおお!」

 

 

俺「ひさびさに見たな。5桁肉」

 

嫁ちゃん「だって、これ、美味いんやもん」

 

俺「それは否定しない」

 

嫁ちゃん「100gを698円じゃ買えんて」

 

俺「それも否定しない」

 

嫁ちゃん「それに、そろそろちび(8)の誕生日やし」

 

俺「おー、そうか。それじゃその日はステーキにするか」

 

その頃、ちび(8)は……

 

 

まだ戦っていた。(最近の敵はもっぱらお姉ちゃん)

 

 

 

 

 

土曜日は出勤したので不貞腐れて何もせずに寝た。

 

日曜日は名誉挽回のため天ぷらを揚げた。もちろんシソの葉も揚げた。

 

俺「野菜はもうちょろいぜ」

 

シシトウは庭で採れたものである。

 

 

俺「かき揚げだってちょろいぜ。うまいもんだろ」

 

 

俺「ご先祖様用いっちょ上がり!」

 

 

初物のメロンが載っているのがおわかりいただけただろうか。嫁ちゃんが1玉500円でコストコで買ってきたものである。

 

俺「へい、天ぷら定食まいど!」

 

 

毎週末に天ぷらを食べているような気がするが、気のせいだな、うん。

 

 

 

 

 

ではここで、先週のニュース。

 

①人間ってこんなにバカなの?

ルンバやSUICAを部屋の中で失くすやつは、同じ人間とは思えない。あ、でも、ルンバを買えるんだからお金は貯まってるんじゃないのか?

 

 

②足切りいいじゃん!
ケチな上に頭のおかしいバカで傲慢な貧乏人はお客様ではありません。コストコも会費を5倍にして雑魚客を足切りしてくれよ!

 

 

③これは大問題
もうさ、子孫残すなよ。子供が可哀そうだよ。お前らアホ親のエゴで障害持たされて生まれてくるやつの気持ちを考えろよ。

 

 

④ね、親がキチガイだから子もこうなる
上の③ともリンクするけど、子供をしつけられない親もどきは子を産むな。

 

 

と、まあ、生きてる価値も無さそうなクズやキチガイが相変わらずこの国のマスゴミどもを賑わわせている。

 

これで終わると気分が悪いので、最後くらいはいい話をして終わろうと思う。

 

 

 

 

 

最近、よく目につくのが、いい年したおっさんが夏を顧みる記事。

 

古い記事なのに何でリストの上の方に上がってくるのか不思議だが、ちょうど季節的にもいいネタなので引っ張ってきた。

 

 

 

 

多分だが、青春も恋愛も結婚も失敗した独身ネット依存症の引きこもり40代50代のおっさん達がコメ入れてるんじゃないか。

 

なんでかというと、書かれている内容に、55歳のとうちゃんも思い当たる節があるから。

 

しかし、おもしれーなーと思うのが、どいつもこいつも「泣きそう」「死にたい」「あの頃に戻れない」なんて泣き言ばっか言ってやがんの。

 

確かに少年時代そのものでもあった小学生の頃の思い出は眩しい。

 

とうちゃんの少年時代は典型的な昭和の少年だったが、今までにもここにいろいろと書いているから改めて書くことはしない。

 

勉強もそこそこして、それ以上に遊びまくり、無茶して叱られたり殴られたりして、気がついたら恋に堕ちる年齢になっていた。

 

中学2年になるまでは、スレに載っているようなワードに表される夏を生きていた。

 

「風呂上りにアイス食べながら家族で見た金曜ロードショー」とか「母ちゃんが冷えたカルピス作ってくれてお昼食べたら母ちゃんと一緒に昼寝」とか「焼けたアスファルトに立ち昇る蜃気楼、蝉の合唱が毎日のBGM、入道雲を背に自転車をこいで海まで走ったあの坂道」とか、「冷たい麦茶を入れたコップが結露」とか、「とりあえず公園に行って知らない奴らがやってる野球に入れてもらったり」とか、「イカのおつまみでザリガニ釣り」とか、「蚊取り線香・キンカン・プールの漂白剤のにおい」とか、「朝早く起きてラジオ体操、ハンコ貰うのが楽しみだった」とか。

 

それ以外にも、高架の橋脚に登ったり、山の中で火遊びをしたり、ボートで川を下ったり、ぼた山で遊んで靴を失くして裸足で帰ったり、冒険に次ぐ冒険をして過ごした記憶しかない。

 

それがいつの間にか中学に上がり、素敵な女の子に恋心を抱くようになり、だけど告白するなんて考えは毛頭なく、友達の一人として遊びに行ったりしていた。

 

スレから拾ってくるなら「制服の着心地、教室の空気、黒板のにおい、午後の授業のけだるさ、授業中に窓から眺めた青空」とか、「市民プールの帰り、○○くんはブラックモンブランと白くま君どっちが好き?」とか、「他のクラスが水泳の授業をやってて、プールからの歓声がやけに遠く聞こえる中、斜め前の女子のまだ乾ききらない長い髪の毛をぼんやりと見てたら、気だるくなって、もう眠くて眠くて」とか。

 

これは中学生にしか感じられない青春だったな。


浴衣を着て待ち合わせて、近所の神社の夏祭りに出かけたり、そばの川で打ち上げられる花火を土手に座って眺めていたり。

 

こういう記憶を今でもいい思い出として抱えていられるのは、自分で言うのも何だけど、彼女達と男と女としての一線を超えなかったからだと思う。

 

今の時代の中高生の生き方をどうこう言うつもりはないけど、やはり貞操は大切にしないと自分自身を信じ続けることができなくなってしまう。

 

下の絵のように「下心を出せない=女に対して怯えている=女はそれに勘づく=女は自分より格上の男でないと恋愛感情を抱かない=だからチ牛はモテない」という理屈は滅茶苦茶正しい。これは真理である。(これについてはまた別記事で)

 

 

だが、あの時代の俺達は、あれが心地よかった。

 

そういう雰囲気になって、一線を超えそうになり、無言の時間が続いた後、どちらからともなく手を引っ込め、何事もなかったかのように振る舞いたいのに、顔真っ赤、声ブルブル、挙句の果てには意味の分からないジョークでその場を流したり。

 

次に会う時はどんな顔をして会おうか考えて、電話がなかなかできなかったり。

 

(しかも家の電話だぜ。相手のオヤジが出るかもしれないんだぜ)

 

で、後で聞いてみると、相手もそんなふうに考えていたり。

 

そんな自分も相手も、今思い返すと、いとおしい。

 

父ちゃんの青春時代は、実に実に、実りのない青春時代だったと思う。

 

もちろん成人してまで女性とそんな付き合い方を続けていたわけじゃないけど、何物にも代えられない中高生時代の青春って、やっぱりそういう純粋なきらめきがあってこそじゃないかと思うのだ。

 

やっちまうのは簡単だし、それでお互いを傷つけ合って別れてはすぐに別のやつとくっついてまたやる性欲最優先の低能ちんまん星人なんか、この世にはごまんと存在するけど、やっぱり青春の記憶は輝いていなければいけないのだ。

 

だからこそ、急ぎ慌てて結果を求めるような真似はしない方がいい。

 

 

 

 

 

あの子に会えない時は、彼女が大好きだった松田聖子のLPを聞いて過ごした。

 

デビュー直後の松田聖子のアルバムは奇数版が春夏、偶数版が秋冬にリリースされており、収録されている曲はその季節に合ったシングル2枚とアルバム曲が8曲と決まっていた。

 

シングルはベストテンやトップテンで耳にタコができるほど聞いていたのでそれほど興味はなく、むしろアルバム曲の中に好きな曲を探した。

 

特に思い出深いのが中学2年の時に発売された5枚目のアルバムで、あの子も特にこのアルバムを好んで聞いていた。

 

そして翌年の夏に発売された7枚目のアルバムを最後に、松田聖子自体を聴くのを止めた。本当なら6枚目のアルバムで止めるつもりだったが、諸般の事情により最後の1枚は夏のアルバムにしたかった。

 

この7枚目のアルバムの1曲目がエントリ表題の「ピーチシャーベット」である。

 

彼女がいなくなったはじめての夏に聞いたので、とても印象に残っているが、歌詞は著作権がうるさいので転記できないため、以下にリンクを貼っておく。

 

 

このアルバムの出来は、6枚目までと比較すると個人的に良くないと思っているので、1曲目の「ピーチシャーベット」を聴いたら止めてしまう。あとは聴く価値を見出せない歌ばかりだから。

 

著名な作曲家がそれぞれの持ち味を生かした曲を提供しているのだが、そのため散漫さが鼻に着き、コンセプトアルバムとしての価値は低い。

 

また、歌詞も曲も、松田聖子の本来の魅力を引き出しているとは言い難い。あの子が聞いたら眉をひそめただろうな、なんて思う。特に2/6/7/9なんか。


まあ、その後40年以上も芸能界の頂点に君臨することになるスーパーアイドルの推しを降りるにはよい潮時だったのではないかと、振り返った今では思う。

 

 

 

 

 

終わりに、例のスレでも引用されていた「魔法遣いに大切なこと~夏のソラ~」のビジュアルをAIで動かしてみる。

 

しかしこのビジュアルの子って、弱男やチー牛が好む典型的なステレオタイプの女子だよな。

 

元絵

 

DreamMachineでアニメ化

(まだまだ粗が多いし動きも不自然だけど、β公開レベルだし今後に期待)

 

いやはや、しかしすげえ時代だよな。

 

イカの珍味でザリガニ釣ってる場合じゃねえわ、令和の少年少女。