今回の記事は娘(19)とちび(8)へ送る。

 

まずは以下の記事を読め、と言いたいところだが、書いている奴の日本語が悲惨過ぎてこの俺でさえ目が滑ってしまうので、GPTに要約させてみた。

 

 

(以下要約)

数年前、二つ下の妻と結婚しました。妻は美人でも料理上手でもありませんでしたが、何事にも一生懸命なところに惹かれて結婚しました。妻は事故で両親を亡くし、私の母親と非常に仲が良かったです。

 

結婚した年の暮れに私の母親が癌で亡くなり、仲の良かった妻は非常に落ち込みましたが、半年後に妊娠がわかり、家庭に明るさが戻りました。

 

しかし妻の妊娠後、今度は私の父が若年性アルツハイマーと診断されたので、同居することにしました。子育てと介護に追われる日々が続きましたが、妻は一生懸命に日々をこなしていました。

 

ある日、父が行方不明になり、地域の消防団と一緒に捜索しましたが見つかりませんでした。

 

妻は「自分が目を離したからだ」と自分を責め続け、とうとう首を吊って自殺してしまいました。葬式は密葬で、近所のおばちゃんが手配してくれました。

 

そこへ父の姉である伯母が来てお悔みも言わずに、「疫病神がいなくなってよかったね」と言いました。私は彼女を殴りましたが、線香を上げにきていた友人に羽交い締めにされて私が手を出せないとわかると、父の姉は自分を正当化する理由を一方的に話し、遺産の相続を要求してきました。

 

私が衝撃を受けたのは、伯母が「お前のせいでこの家は不幸になった。お前がいなければこんな事にはならなかった」とまくし立てて妻に詰め寄ったことが、妻の自殺の原因だと知ったことです。

 

妻が亡くなった日のことを思い返し、後悔と悲しみが募る日々が続きましたが、49日が過ぎる頃には、なんとか子供と共に生きていこうと思えるようになりました。

 

何とも悲しい話だろ?

 

簡潔にまとめると、

 

1.主人公が天涯孤独の嫁と結婚した

2.嫁は主人公の母と仲良くなったが、母はガンで死亡

3.半年後に主人公と嫁の間に子供ができたことで家庭に火が灯った

4.その後、主人公の父が若年性アルツハイマーにかかったので同居を開始

5.主人公の父がボケて失踪し、伯母が嫁を責めたことで嫁が自殺

6.伯母は逃げ、主人公と小さな赤ん坊だけが残された

 

という流れ。

 

これ、現界的にみると、4の親との同居が全ての敗因なんだよ。

 

いいか。娘(19)よ、ちび(8)よ。

 

結論を先に書くが、


親は棄てるものだ

 

 

 

 

 

今昔物語に、以下のような話がある。これは短いのでリンク先を読んでみろ。

 

 

簡単に言うと、洪水で自分の母親と子供が流された時、主人公の男は子供を見捨てて母親を助けたという話。子供を見捨てたことを嫁からは非難されたけど、仏様からは「お前の性根は尊い」と褒められたという、クソみたいなオチ。

 

仏のバカが何を言おうが(もうお前らの時代は終わった)こういう場合は5000%母親を見捨てて子を救うべきである。

 

とうちゃんの記憶では、この主人公の行動が後の孔子によって説話風に語られ、その時の孔子も「子はまた授かるが、親は替えようのない存在なのでこの男の行為は正しい」と言っていたはずだが、その原話が見つからないのでここでは言及しない。

 

まあ、どちらにしても腐れ儒者の孔子あたりが言いそうなことではある。

 

が、問題はそこではない。

 

こういった思想が国を傾けているのは知っているだろう?

 

この国は死に損ないのじじいやばばあを優遇し過ぎている。

 

そして若者たちが苦しんでいても何もしない。

 

だからこそ、親を棄てるのだ。

 

親を棄てて身軽になる必要があるのだ。

 

最初に引用した鬼女板のネタでも、アルツハイマーになった親父なんか放っておいてよかった。

 

自分と愛する嫁と、その間に生まれた子供を大切にしながら、次の世代として幸せな家庭を築けばよかったのだ。

 

なのにアルツの親父を引き取ったおかげで、運命の歯車が悪い方へと回りだし、あげくの果てには父の姉というクズまで引き寄せることになってしまった。

 

あの場合の正解は「断固として父を引き取らず、伯母に任せる」「伯母が引き受けない場合は行政に」「行政も引き受けない場合は見捨てる」ということだ。

 

いずれ死ぬ、しかもボケた親を引き取ってケアしたところで、クソ仏が夢の中で褒めてくれるだけのメリットしかないし、それで自分達の新しい家庭をぶち壊してどうするんだよ。

 

 

毒親は洗脳電波を出しているからなかなか切れないだろうが、普通の親だって棄てていいのだ。いや、棄てるべきなのだ。

 

俺達は、お前達の踏み台になれるのなら、喜んで死ねるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

親は棄てるものだということはわかったな?

 

なら、もうひとつ。

 

簡単に他人を救えると思うな。

 

 

(以下要約)

AEDを使ったことを後悔している。

 

当時、地元の会社に勤めていて、労働組合主催の新人歓迎会でレジャーを楽しんでいた。そこで、同期の女性がテニスボールを胸に受けて倒れた。慌てて心臓マッサージを試みたが、うまくいかず、AEDを使った。結果、女性は助かったが、職場での自分への評価が一変した。

 

同僚たちは自分を避け、陰で悪口を言われるようになった。その結果、精神的に追い詰められ、最終的に退職を余儀なくされた。現在は小さな製造業で働いているが、鬱病にかかり、長い時間をかけて回復した。

 

自分の行動は正しかったが、現実世界では評価されなかった。

 

他人を救うということは、漫画や映画の中で美談として描かれていることが多いが、これが現実だ。

 

そもそも人は、他人を救うことができるのか?

 

肉体的に救ってやる、または金銭的に救ってやることができたとして、それで全てが終わるのか?

 

魂を救ってやらずして、その相手が本当に幸せになれるのか?

 

また、こちらがいくら情けをかけても、それを理解できない文化の中で生きてきた中国人や朝鮮人のような人種もいる。

 

こちらが少しでも隙を見せたら骨の髄までスープにしようとしてくる民族だ。

 

だから、驕ってはならない。

 

お前達は、簡単に人を救えるような存在ではないのだ。

 

もちろん、とうちゃんもだが。

 

(↓物乞いの少女に一時の偽善心から金を恵んだ結果、どうなったか)

 

だから自分達のことを一番に考えるのだ。

 

自分が強く、立派にならなければ、人など救えるはずがない。

 

なのに漫画の中ではひたすら自己犠牲が尊いものだと描かれ、それを読んで育った少年少女は自ら進んで介護職などという老害の奴隷職になっている。

 

未来の希望も夢も、自分の幸せもかなぐり捨てて、老い先短く卑しい老害の慰み者になっている。

 

これらは誤りである

 

親は捨てていい。

 

他人も見捨てていい。

 

強くなるまでは。

 

そして、強くなれたら、まずは家族を、自分の子供達を守り導けるようになれ。

 

それができた時、はじめて、社会に向かって手を差し伸べる資格が得られる。

 

家庭がボロボロの状態で慈善事業や人権主義に走り回っている連中の醜さと中途半端さ、そして信用のなさはわざわざここに書く必要もない。

 

むしろ連中は、ああいった活動で自分を表現しておかないと生きている理由がなくなってしまうから、目先の偽善に必死になっているだけだ。

 

SNSでクソ映え写真をアップして、どこのクズかわからん連中に「いいね」を貰って有頂天になっているキチガイとさほど変わりはない。

 

だからまずは自分を鍛えろ。

 

他人の死や不幸など放っておけ。

 

成長し、強く、賢くなるのだ。

 

(↓自我だけが肥大した子供のままでは誰も救えない)

 

 

油の中に生のホタテを入れるようなバカになってもいけない。こいつらは人を救える頭を持っていないし、むしろ周囲に被害を与えるようなバカに違いなく、それをネタにして笑うことしか能のない低能に過ぎない。

 

 

 

 

 

 

……という記事を一気に書いてみたが、これは今はやりの40Hzガンマ波を試してみた結果である。

 

なるほどガンマ波は集中力と創作意欲にプラスに作用するらしいぞ。

 

興味があるなら試してみるといい。

 

……いや、それを言いたかったわけじゃないんだけどね。

 

一応、オチをつけたかったから。

 

 

 

(↓とうちゃんが上の記事を書きながら聞いていたのはコレ)

 

 

 

 

追記:こんな父親、とっととくたばってくれた方が助かるだろ?

 

 

(YahooNewsは記事がすぐ消えるので以下引用)

免許返納を家族から促されつつも、かたくなに返納を拒否した結果、交通事故を起こしてしまった90歳男性について、その家族から話を伺いました。 

 

彼の家族構成は、65歳の息子とその妻(63歳)の3人暮らしで、彼は認知症の症状が出始めていたことから、息子夫婦から何度も免許を返納するよう促されていました。しかし彼は昔ながらの頑固な性格から首を縦に振らず、息子夫婦は困り果てていたそうです。その後、彼が交通事故を起こしてしまうまでの詳しい状況を息子さんに教えていただきました。

 

――お父様はどれくらい運転が危ない状態だったのでしょうか。

 

90代の父親は昔ながらの強気な性格の人で、「俺は大丈夫」と言ってかたくなに免許返納を拒んでいました。けれど実際は物覚えが悪くなり足腰も弱くなっていて、運転している様子はとても見ていられないくらい危なっかしい様子だったのです。あまりにも危険だったので私が車の鍵を預かって運転させないようにしていました。

 

――普段は運転させないようにしていたのに、なぜ交通事故は起きてしまったのですか。

 

ある日、私が外出中に車を運転したことが原因です。車の鍵は私と妻の寝室の貴重品入れに隠していたのですが、探し出されてしまいました。今となって思うのは、外出時でも車の鍵を持ち歩くべきでした…。

 

――事故の事実を知ったのはいつでしたか?

 

警察からの電話で知りました。「人をひいたので来てほしい。酒を飲んでいるようだ」と言われました。慌てて現場に行くと、へらへらと笑いながら警察官と話す父の姿と、ミラーが無くなった車がありました。

 

――本人はご無事だったのですね。どのような事故だったのでしょうか?

 

歩道のない道路で、歩行者が歩く部分を走行してしまい、対向して歩いてくる歩行者の身体にぶつかってしまったようです。酒気も帯びていましたが父は「俺はスピードを出していない。向こうが寄ってきた。酒は少し飲んだだけ」と言い訳ばかりで悪びれない様子に、心底腹がたって怒鳴ってしまいました。 ドライブレコーダーを見ると、明らかに父が歩行者寄りで走っていて、スピードは60キロくらい出ているようでした。ドライブレコーダーを見ても父は「俺は悪くない」と認めません。そのため認知症を疑われましたが、数値としては悪くなく、結果として相手方は左腕骨折で長期入院、父は100万円の罰金を命じられました。

 

――鍵の管理など対策をしていても、人身事故の発生を避けられなかったのですね。

 

相手方が私の息子の所属する野球チームの関係者だと判明し、謝罪に伺った際にはひどく叱られました。また、息子もチームに居づらくなり移籍することになり、免許を返納しなかったために、息子にも迷惑がかかってしまいました。

 

――最終的には、どのような解決となりましたか?

 

この事故を機に免許を返納させ、車を売って罰金を支払わせました。私は何度も警察署や検察庁、相手方のお見舞いなどに行き会社を休んだため、みなの知るところになり、社内でも居心地が悪くなりました。この事故をきっかけに父は弱り、急に年老いて完全に歩けなくなりました。正直なところ、迷惑をかけておいて急に介護が必要となっても、私も妻も看る気になれないのが本音です。

 

――免許返納の話し合いは、何歳ごろから何回程度されましたか?

 

父が65歳になったころから私が父の代わりに運転するようにしていました。しかし父が70歳のころに母が他界し、寂しくなったのか再び車で出かけるようになったのです。 80歳を超えたころから認知症が出はじめ、それをきっかけに返納について何度も話すようになりましたが、その話をすると怒り出すので話し合いにもなりませんでした。何度も話したので回数はわからないほどです。

 

――事故後の免許返納について、本人は納得されましたか?

 

最後まで納得していませんでした。車を売りましたので、乗り物がなければ持っていても仕方ないと観念しただけでした。

 

ゴミジジイ、死ね