生成AIシンパと生成AIアンチのケンカが盛んである。

 

というよりも、アンチAIのキチガイっぷりが激しすぎてヤバい。

 

まともな人間とは思えないわめき散らしに終始している。

 

 

アンチAIを筆頭に、お猫様カフェを出禁になったくららとかいう(ハイジに謝れ!)車いす活動家や車いすインフルエンサーの中嶋、五体不満足で行き場がなくなり政界にダイビングしたおとたけとかいう不倫男、ブスで男に相手にされないから男性嫌悪者に堕したフェミニスト(日本三大ツイフェミって知ってるか? 全員家族から絶縁されているんだぜ)などなど、何かのイデオロギーに抱きついたままでないと生きていけない無能でキチガイな連中の信条や主観はどうでもいいとして、その生きざまは滑稽であるがゆえに、時々見ては笑っている。

 

本当に見ていて面白い。下手な落語や漫才よりも面白い。

 

ああいうキチガイはイデオロギーに擦り寄ることで自分に芯があると思っているが、実はそれは芯じゃなくて、ただの背もたれ。

 

これからの時代、俺達まともな人類は、ああいうバカやアホやキチガイの存在はとりあえず認めつつ、度量海のごとしで華麗に無視するべきなのだ。

 

そして、こんなことを言っている俺達をバカやアホやキチガイだと思うなら、その存在を認めつつ、度量海のごとしで無視してもらいたいものである。

 

バカもアホもキチガイもガイガイもこの世からは絶対に消えないし、施設にぶち込んで更生しようとしても無理である。

 

だからその存在は、夏になると水たまりに発生するボウフラのように「仕方がない」と受け入れつつ、だからといって、こちらからわざわざボウフラがうじゃうじゃいる水たまりに顔を突っ込んでいく必要はない。

 

道路でボール遊びをする猿ガキとそのキチ親、ワクチンを打て打てと勧めてくる無知な同僚知人、プリウスでよたよた走っている四つ葉マークの死に損ない、大田区の逆走逆切れママチャリ直子なども同様。

 

遠くからニヤニヤ眺め、酒の肴にすればいい。

 

酒の肴以外には使い物にならんし。

 

真面目に生きている我々が好き好んでバカの人生をわざわざ理解する必要もないし、その主張に耳を傾けてやる必要もない。

 

なにがインクルーシブだっての。笑わすな。

 

そんなに口から涎たらしてあうあう言うだけの人間未満を救ってやりたけりゃ、お前が直接あいつらの面倒を見ろや。>インクルーシブ推進偽善者ども

 

 

 

 

 

 

で、話を戻すが、昨今アニメーターや絵師、イラストレーターの職を持つコンテンツクリエイター達は、生成AIの発達とその可能性に戦慄している。

 

一番わかりやすいのが、漫画やイラスト界隈。

 

シンパとアンチ、どちらが正義でどちらが悪かはどうでもいい。

 

どっちもどっちだから。

 

 

ただ、俺個人はAI推進派。

 

生成AIにある特定の絵師の画像を学習させ、その絵師のタッチをAIに再現されることは道義的にやってはいけないことという決定がpixivでは下されたが、これは焼け石に水というもの。

 

建前上、そう言わざるを得ないのは、手書きの絵師の生存権をあからさまに侵害するるわけにはいかないからである。

 

ただ、大きな視点で見ると、こんな糞みたいなルールはいずれ雲散霧消するだろう。

 

手塚治虫のタッチをAIに学習させ、手塚治虫のストーリーテリングをAIに学習させ、手塚治虫の新作を読んでみたいとは思わないか?

 

俺は思う。

 

逝去した高倉健のあの武骨で不器用な演技を、新しい銀幕の中で見てみたいとは思わないか?

 

俺は思う。

ⒸドラえもんⒸ藤子不二雄Ⓒてんとう虫コミックスⒸ小学館

 

 

エンターテインメントコンテンツは、人を楽しませるためにあり、別にそれを作っている人間の生活を守るためにあるのではない。

 

もし食えないというのなら、別の仕事をすればいい。

 

公園の便所掃除でも、道路の交通誘導員でも、何でもやりゃいい。

 

いずれコンテンツと呼ばれるものは、全て生成AIが生成する世の中になるのだし、アンチどもの言っていることや、やっていることは無駄な抵抗に過ぎない。

 

金の亡者の自民党が↓こんなことを言い始めている時代だぜ。

 

 

あのバカ政治家どもは、AIのガイドラインもきちんと策定していないくせに、輸出産業としてアニメやゲームに今更テコ入れをしようとしているが、これは自分達が儲けたいだけの話。

 

アニメもゲームもAIも、何も知らない死に損ないのジジイどもが寄り集まって、どうやって自分達の給料を増やせるか、どうやって中抜きして楽に遊んで金を手に入れられるかを考えているだけのこと。

 

庶民の生活は決して楽にならないし、クリエイター達の給料だって上がるわけがない。利益はみんな自民党にピンハネされて下には落ちてこない。

 

というわけで、政治家が何をしようが期待はできないが、だからと言って、庶民レベルで「あーだこーだ」言っても仕方がないこともあるのだ。

 

たとえば、レッドブックに掲載されている絶滅危惧種を守ろうという運動も、アンチAIと同様にくだらなく、バカらしい活動である。

 

その生物が絶滅するのなら、絶滅させればいい。

 

別に人間がわざわざ手を差し伸べて、保護し、殖やす必要はない。

 

神がその種を不要としているのだから絶滅させようとしているのかもしれないし、それを人間の浅知恵で残したところで、何のためにもならない。

 

もっと深奥で幽遠な宇宙の仕組みにすら目がいかないくせに、絶滅危惧種を必死で残したところで、人類のプラスになりはしないのだ。

 

また、ウクライナやイランなど、戦争をしている地区では、歴史的な価値のある古い寺院が砲撃されて破壊されたというニュースが飛び込んでくる。

 

で、それに対して一部の歴史学者がブチ切れるわけだが、これもブチ切れる資格など最初からない。

 

そもそも戦争なんかしている時点で、歴史的に価値のある建造物を守り、保護する資格が人類には存在しないと気づくべきである。

 

 

 

 

 

 

前ふりが長くなったが、いずれはAIは人類に必須のツールとなり、それを仕事や趣味に活かせる人間は生き残り、アンチはことごとく死滅するだろう。

 

人類の歴史はイデオロギーの対立の歴史である。

 

「牛は神聖だから食べてはいけない!」VS「牛は美味いから食べる」

 

「豚は汚いから食べてはいけない!」VS「神はそんなこと言ってない」

 

「キリストの教えは大事だ!」VS「キリストなんてただのユダヤ人」

 

「マホメットは自分が最後の預言者だと言った!」VS「だから何だ」

 

「男中心の社会はおかしい!」VS「お前が性格も顔もブスだから」

 

「車椅子に優しくしろ!」VS「お前が性格も顔もブ(ry」

 

などなど。

 

価値観の違いをすり合わせる前に、口論や殴り合いが始まり、ひどくなると相手にミサイルを撃ち込んだりしている。

 

では、近未来ではどうなるか。

 

「AIを使うな!」VS「AIを使うよ」

 

にはならないだろう。

 

イデオロギーの対立が起こる前に、アンチAIが全滅するに決まってる。

 

ディックの短編集「時間飛行士へのささやかな贈り物」の中に「アフター・サーヴィス」という話がある。

 

文中にはスウィブルと呼ばれるものが登場するが、これが何であるのか、最後まで姿は明かされない。

 

文中にほのめかされることからわかるのは、おそらく機械、だがタンパク質を栄養源とする有機体でもあるため生物的な面も持ち、そうかというと調整が必要なためにサービスマンが時々修理をする必要があるということ。

 

このスウィブルの存在目的は何か。

 

それはイデオロギーを統一すること。

 

未来の世界で発明されたスウィブルは、地球規模の全面戦争が続いていた世界中にばら撒かれ、たったひとつのイデオロギーに反する思考や言動を持つ者を次々と駆り出して食っていったという。

 

これによって全面戦争は終結を迎え、人類は辛くも全滅を免れた。

 

ではスウィブルが守っているイデオロギーとは何か。

 

それは「スウィブルに従う」ということらしい。

 

つまり、生き残った人間は全員スウィブルに従うことを選んだ者達であり、そこにイデオロギーの対立はない。

 

もし他人と対立した場合、それはスウィブルに従わないイデオロギーを持った証となり、その場でスウィブルに食われてしまう。

 

スウィブルはどの家庭にもあり、恐らくペットのようにリビングに置かれているのだろう。サービスマン曰く「お友達の家に入った途端にリビングのスウィブルに食われちまうことは避けたいでしょ?」とのことだ。

 

こうして対立するイデオロギーを持つ者はスウィブルに食われて死滅し、残っている人類はたったひとつの「スウィブルに従う」というイデオロギーを持つ人間達だけとなった―――という話。

 

この話の中の「スウィブル」を「AI」に置き換えて考えてみると大変興味深い。

 

ディックの小説の中ではスウィブルに従わないものは全員抹殺され、対立する存在がなくなったことから地球上の争いは消えた。

 

これをAIに置き換えると、以下のようになる。


いずれはAIが人間の仕事はもちろん、生活や趣味に入り込み、AIなくしては人間は存在できない社会が構築されるだろう。

 

そうなったとき、アンチAIはどうなるか。

 

AIに狩り出され、食われるのだ。

 

それが嫌なら、AIに従う道を選ぶしかない。

 

おっと、ディック的な口調になって言い過ぎたが、本来は「AIを上手に使って自分の生活や仕事を豊かに効率化する道を選ぶしかない」と言うべきだ。

 

そこでアンチAIの立場にいつまでもしがみついていても、スウィブルに食われてしまった未来人のように、社会から置き去りにされ、誰からも相手にされず、「つまんねぇ人間だね」と後ろ指を差されるだけの存在に堕す。

 

だからアンチAIに未来はないのだ。

 

どうでもいいが、こんな奇想天外な話を1955年に書いたディックの脳みそはどうなっているのか?

 

 

 

 

 

 

で、未来にはアンチAIは存在しなくなり、イデオロギーの対立はなくなるが、小競り合いは残るだろう。

 

市場競争や、いたちごっこ、モグラ叩きのような、本当に小さな、争いとは呼べないような小競り合い。

 

で、その時代になると、小競り合いそのものをAIが人間の代理として行う。

 

たとえば、2024年現在の技術を用いると、AIに文章を書かせ、AIが制作したものかをAIに見破らせる例など。

 

 

 

ChatGPTに詩を書かせてみる

 

 

 

生成AIチェッカーに判断させてみる

 

 

 

おい。

 

見破れてないじゃんか。

 

あー、文字数が少ないから正確な判定ができなかったってことね。

 

それじゃ500字以上の文で試してみようか。

 

【俺】

人里離れた山奥で迷子になった男女のカップルが恐ろしい目に遇うホラー的シナリオの導入部を、500字程度で作ってください

【ChatGPT】

深い山奥に車を走らせていた二人組は、突然の濃い霧に包まれた。地図やGPSも頼りにならず、迷子になった彼らは、不安と疲労が襲ってきた。霧が晴れる気配もないまま、進むことを決意したが、車は何かに引っかかって進めない。歩き始めたが、どこかおかしい。周囲には不気味な静けさが漂い、道がないような気がしてならない。すると、遠くから異様な音が聞こえ、二人は怯えながらその方向へと向かうと、そこには廃墟と化した洋館が立ち並んでいた。

洋館の扉は不気味にゆらゆらと揺れており、二人は足を踏み入れる勇気を出すのに苦労した。中に入ると、薄暗い廊下が続いている。どうやらこの洋館は人が住んでいないようだが、不思議な雰囲気が漂っている。廊下を進んでいくと、突然、後ろから鎖がガチャガチャと音を立てて引かれる音が聞こえ、二人は慌てて振り返ると、そこには誰もいない。

恐怖におびえる二人は、急いで逃げ出そうとしたが、どうやら出口が見当たらない。追い詰められた彼らは、洋館の中を探索し始める。すると、廊下の先には古びた書斎が広がっていた。書斎の机には古びた手紙が散乱しており、その内容は不気味なものだった。二人は恐怖を感じながらも、この洋館に隠された秘密を解き明かすため、探索を続けることにしたのだった。

 

 

【生成AIチェッカー】

 

おいおいおい!

 

見破れてねえじゃんか!

 

 

 

 

 

じゃあ、もう一つの生成AIチェッカーで試してみよう。

 

 

↓おいおいおい!


 

 

 

見破れてねえじゃんか!

だめじゃんか!

 

 

 

 

 

というように、さまざまなAIを道具として活用する能力は、今後の世の中では絶対に必要になってくる。

 

狐と狸の化かし合いじゃないが、ツールをたくさん持ち、各種ウェポンで武装していれば、多様なケースにも対処しやすいし、相手の裏をかくこともできる。

 

というわけで、長々と話してきたが、結論。

 

あらゆるAIを触っとけ