俺の仕事は俳優業だった。

 

映画の主役になって、さまざまな映画に出た。

だが、年を取るにつれて人気は落ちていき、最後にはプロダクションの社長から解雇を言い渡された。

年齢に合った役柄をこなすことを拒絶してきた当然の報いだった。

 

最後の撮影が終わったあと、共演していた俳優たちは主演だった俺に何も言わず、スタジオのドアを出て散っていった。

 

誰からも声を掛けられることなく、一人でガラス戸をくぐり、外へ出た。


これで大半の人生を捧げてきた俳優業にピリオドが打たれた。

 




事務所から解雇されてしがらみも消え、自由になった俺は旅に出た。

 

あてもない旅の途中、ふと故郷に帰ってみようと思い、生まれた町へ帰ってきた。


そこはすでに、幼い頃の俺が山野を駆け回ったかつての田舎町ではなく、中規模の市として目覚ましい発展を遂げていた。


選挙カー同士が公道でバトルしていたり、長い列のパレードが目抜き通りを流れていたり、見違える光景に驚くとともに、自分が年を取ったことを実感した。

時は流れ、世の中は進むのだ。




 

どれくらい佇んでいたのか、いつの間にか雨が降り出していた。


雲行きに気づかずにぼーっとしていた自分を罵りながらも、市の中心部から、かつての生家があった場所へ向かって歩く。

傘も差さずに。

 

何度かの架け替えによって新しくなっていたが、相変わらず街の中心に残っている橋を渡り、子供のころによく切手を買いに来させられた郵便局の前を通り、生家への道をたどる。

多くの人々とすれ違うが、誰も気づかない。傘も差さずに歩いている俺が、あの有名な大俳優だということに。


誰ひとり傘を差し出しくれることもなく、一台の車も止まることなく、水しぶきを跳ね散らかして俺の脇を走り去っていく。


やがて背後から4気筒の爆音が聞こえてきた。雑味のない抜けのいい音は4-1集合の出す音か。

 

ついでにゴッドファーザーのホーン。

 

六連ホーンか。懐かしい。

 

 

追いついてきたバイクの群れ。

 

ロケットカウルに三段シート、日章旗のカラーリング。

なのに二輪ではなく、三輪の電動自転車。

「先輩ー! グッズならあっちの会場でも売ってますよー! なのに何でこっちに来たんですかー?」

昔の後輩たちか。
 

だが、何のグッズか知らないし、何のイベントが行われているのかも知らん。

「ぶいちゅーばっすよ! 俺たちぶい豚っすよ!」

ゴッドファーザーを鳴らしながら怒鳴っている。

こいつら相変わらず、つるんでこんなことしてやがんのか。
 

しかもV豚とは最高に救えない。

 

それ以前に、いい年して旧車会なんてダセェからやめろと言ってやろうと思ったが、仕事を失った俳優も似たようなものなので黙っていた。

「先輩! 何で雨の中をぼっちで歩いてるんすか? たそがれてますねー」

「独りを噛みしめたかったんだ。なのにお前らが現れた。いつもそうだ。そうやって俺のことを邪魔する」

「ですよねー。いつもそうっすよねー」

わかってるならヤメロ。どっか行け。

「この街に先輩が戻ってきたって聞いて、みんなで探してたんすよー。……なんて言ってほしいんすか? ぜんぜん探してないっすけど」

お前、ころすyo。

という感情がよぎったので、大人げないと思い、

「あー、どっちでもいいよ。もう終わったんだし」

と答えた。

馬鹿どもはまたゴッドファーザーを鳴らすと、

「でも俺ら見てましたから。先輩が主役張ってた映画、全部」

突然そんなことを言われ、思い出した。

映画の中のシーンだけでなく、撮影が終わってからも、途中の路上で殴り合っていた大物俳優と若手俳優。相手の粗を探して監督にチクっていた中堅俳優。居酒屋で愚痴ってばかりだった下積み連中。いい役を取るために偉いさんと寝まくっていた女優。逆に売り込みのために寝てこいとプロダクションの社長に言われて泣く泣く身を捧げに行っていた若手女優や若手男優。

あんな世界に暮らす前、俺はどこにいた?

こんな馬鹿どもとゴッドファーザーを鳴らしながら夜の街を駆け抜ける前、俺はどこにいた?

ここにいたんじゃないのか?

 

でも、ここは、あの頃のここは、今のようなここじゃなかった。

背後に山が迫る、川のそばにある小さな集落だった。


明かりもろくに無い、和風の掘っ建て小屋で暮らしていた。

当時ガキの俺が考えていたのは、ひとつだけ。


「いつかこの村に明かりを引きたい」

そのためには都会に出て、のし上がり、力を手にしないと。

力さえ手に入れれば、この、忘れられたような辺鄙なド田舎も、もっと明るくすることができる。

だから俺は自分を捨ててのし上がるんだ。

……そう決心したことを思い出した。

でも、俺の人生のアップダウンとは無関係に、俺の生まれた集落は村になり、町になり、市になっていた。

その間、俺は、大人の金儲けごっこに過ぎない、あんな茶番に付き合って、人生を削り取られてきた。

拳銃で人を撃ったのも、刃物で腹を刺されたのも、乗っていた車に爆弾が仕掛けられていたのも、全部映画でよかったと思う。

「んじゃ、俺ら行きまっす。先輩も自殺なんかしねーでくださいよ」

「誰がするか。馬鹿どもが」

多くのロケットカウルがゴッドファーザーを鳴らしながら去っていく。

変わったもの。

変わらないもの。

俺は、どちらサイドの存在なんだろう?

雨に濡れてすっかりヨレヨレになってしまった帽子を取った俺は、それを胸に抱いて、ゴッドファーザーを鳴らしながら去っていく群れを見送った。

そして気づく。

なんら悲しむようなことでもない。

人生の一幕が終わっただけで、俺はまだ終わっちゃいない。

変わらないあいつらと、変わった街。

俺は、どうしたいんだ?

俳優としての賞味期限が切れた俺は。

こうして街を歩いていても、誰からも気づかれない程度の俳優だった俺は。

灰色の雨の中に消えた馬鹿な後輩どもを見送った俺は、近くの自動販売機へ向かった。

温かいコーヒーを飲みながら考えよう。

……

……

……

……

……

……

という夢を見た、日曜日の朝。

居間で茶を飲みながら嫁ちゃんと会話。

嫁ちゃん「そういや、横浜銀蝿っておったやん」


ⓒTHE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIALⓒキングレコード/ユタカプロⓒ週刊プレイボーイⓒ集英社


中学時代に親からエレキギターを買ってもらい、中学校の文化祭で演奏したことがきっかけで、当時不良少年と呼ばれていた同輩や先輩の家に招かれては、タバコの煙で真っ白になった部屋の中で銀蝿の曲を弾かされたものである。

 

当時の俺は優等生だったのに、普通の友達以上に不良の友達が多かったのは、この横浜銀蝿が原因であり、彼らは当然のように酒とタバコと女を嗜んでいて、俺にも嗜めと迫ったが、俺は断固として嗜まなかった。

 

これは今でも誇れることであり、俺が論語の子路篇にある「子曰、君子和而不同、小人同而不和」を中学時代から実践していた証拠である。ちなみに日本語では「和して同ぜず」、意味は「人とのなごやかな人間関係は心掛け、協調していくが、決してむやみに同調しない」となる。

 

俺「あー、懐かしいな。当時は学校や親やPTAからいろいろ言われていたけど、俺、あいつら嫌いじゃなかったなー。スリーコードで弾ける曲で、あれだけのバリエーションを出せたのは一種の才能だった」

 

嫁ちゃん「うちらは、高校の文化祭で合唱したで」

俺「それはない」

嫁ちゃん「まじやで。まじで合唱したで」

俺「全員が白いボンタンに黒いライダージャケットで? 全員が剃り込み入ったリーゼントに細めの黒いサングラスで?」

嫁ちゃん「そこまではせえへんかったが」

俺「だろうな。高校の1クラス全員がそれをしたら、ただの頭のおかしい集団だ」

夢で見た馬鹿な後輩どもを思い出す。

ちなみに夢で見た馬鹿な連中は、今ではみんないい年のオヤジになり、きちんと仕事をしながら家庭を守っている。

それにそもそも、俺自身が芸能界で俳優業をしていたことなどないので、あの夢自体がぐだらこである。

嫁ちゃん「そういや、おもろい話があってな」

茶をすすりながら嫁ちゃん。

嫁ちゃん「鈴木雅之って知っとるか? ラッツアンドスターの」

 


俺「ああ、シャネルズの」

 

 


嫁ちゃん「ジェネギャはええとして、彼のエピソードでこんなのがある」

俺「どんなの?」

嫁ちゃん「ある時、彼がプールに行った。素顔を晒していたのに、誰もラッツの鈴木雅之だと指摘してくれず、彼は寂しげやった」

何だか、俺の見た夢とコラボしてそうなネタだ。

嫁ちゃん「そこは鈴木雅之、気を取り直して競泳用ゴーグルを掛けた。途端に周囲から『きゃー鈴木雅之さんだわー!』と来た」

俺「ぎゃっはっは~!」

ゴーグル……というか、例のあのサングラスを掛けていなければ、シャネルズもといラッツアンドスターの鈴木雅之と視認されなかったわけである。

嫁ちゃん「つまり、鈴木雅之という存在は、あの黒いサングラスも含めて鈴木雅之ちゅうわけや」

俺「なるほどなー。それじゃ横浜銀蝿も、あのスタイルがあってこその銀蝿ってことか」

嫁ちゃん「せや。芸能人は特にそうやが、素顔と体形だけじゃ売り切れん。プラス本人認知用の何かしらが必要なんや。これはこれで大変や」

俺「だよなー」

アップルの創始者のジョブズはタートルネックのセーターがトレードマークだったし、ビルゲイツとさかなクンは真面目そうな黒縁(ビルは時に銀縁)眼鏡、AmazonCEOのベゾスとMicrosoftCEOのナデラは見事なまでに磨き上げたスキンヘッドである。

 

やはり有名人に一目瞭然の視認性は必要らしい。


そうすると、夢の中の俺は、本人認知用のアイテムが欠けていたから、周囲から認めてもらえなかったのだろうか?

まあ、象徴的な夢ではあったが、今の俺に視認性を高めるアイテムはいらない。

 

人生とは、頭を低くして、誰からも顧みられることなく、有名になることも、後ろ指を差されることもなく、身の回りの小さな花園を守り続けられれば、それだけでいいのだ。

 

大金を得ることも、地位を得ることも、権力を持つ必要もない。

 

だから、テレビに出ているような連中は本当に心労が絶えないだろうなーと思う。

 

ああいう人生を送らずにすんで本当によかったと、ひがみ根性など全くなく、素直に言えた日曜日の朝であった。