いつだったか、映画だかドラマだかの撮影に伴うエキストラの募集があった。

俺はそういうことには全く興味が無いのだが、家族の誰かが応募したらしく、メールで「参加を許可します」の連絡が来た。

メールの文面から「ちょっと高飛車だなー」と感じたが、まあ芸能界なんてのはそんな連中ばかりだろうと思い、ちょうど暇だったので参加してやることにした。

指定の日時に指定された場所に行った。

ある都市の郊外に位置し、住宅街と商業用地が半々くらいの割合の地域の中にある、草の生えた広い空き地に建てられた平屋の横に長いバラックだった。

場所は確かにここらしいが、周囲に担当スタッフらしき人が誰もいないので、開け放たれたバラック扉から中を覗いてみる。

20人くらいの若い男女が椅子もないバラックの板の間に座り込み、コピー用紙を綴じて作られた台本のようなものをじっと眺めていた。

俺の姿に気づいた一人の青年が入り口脇にあるカウンターのようなテーブルを指差すと、「それ、一人一部ね」と言う。

スタッフではなくどう見ても同類のエキストラから教えてもらい、カウンターの上の台本を手に取ってからバラックに入った。

眺め回してみると、下は十代中頃の中学生から、上は俺と同じくらいのおっさんやおばさんまで、実に様々な連中が熱心に台本を読んでいる。

たかがエキストラなのに随分熱心だなーと思いつつ、指示を出すはずのスタッフがどこにもいないのが気になった。

やることがないので一人で台本を読んでいると、やがて外が暗くなってきた。

どうやら日が暮れてきたらしい。

もうかれこれ二時間以上も待っているが、相変わらず向こうサイドの人間は誰もいないようだし、当然だがスタッフがいないのだから何の指示も出ない。

「ずいぶんと待たせるもんだね」と近くの若者と会話しつつ、腹も減ったなーと思いながら待っていると、突然バラック内が明るくなった。

誰かが天井に吊るされていた照明のスイッチを入れたらしい。

思わず見上げてしまったが、バラックの天井に吊るされていたのは、今では流行らない円錐形の傘のついた古めかしい白熱灯だった。

四つほどの白熱灯の明かりで照らされたバラックの中に一人の男が入ってきた。

がっしりとした体つき、太い猪首、黒いスーツ、レンズに色の入った眼鏡。

どう見てもカタギではない。

「うわー、間違ったところに来ちゃったなー」とかなり焦る。

この手の人種は、どんな服装や恰好をしていようが一目瞭然、背負っている負のオーラがヤバいのだ。

若かりし頃、散々この手のおっさんとやり合っていたこともあり、このエキストラ募集の話が最初からかなり胡散臭いものであることを、ここに来て初めて悟った。

だがもう手遅れか?

いかついおっさんは、ドスの効いた声で「わしは今回の撮影のエキストラ指導のスタッフや」と自己紹介をしてきた。

普通のスタッフが一人称「わし」なんて言う?

彼は、外には車もあり、監督や原作者もいて、今から撮影場所へ移動すると言う。

俺が座っていた場所からは、バラックの開け放した扉の外の空き地がよく見えた。

だがそこにはロケバスのようなものは停まっておらず、ヤクザ映画でよく見る幅の広い黒塗りの車が数台、それからこれも黒いハイエースのようなワンボックス車が何台か、薄れゆく残照の下に見えた。

幅の広い黒塗りの車の運転席と助手席には、エキストラ指導と名乗ったおっさんと似たような恰好の、明らかにカタギとは思えない胡散臭いおっさんが乗っているのが見えた。

また、黒いハイエースの窓は一列目を除いて全て潰されているようで、それを見た俺は「誘拐車」というキーワードを思い出した。

エキストラ指導のスタッフと名乗ったおっさんは、かなり上から目線の態度で、遅くなったことも、日が暮れるまで放置したことも言い訳せず、これからワゴンに分乗して撮影地へ移動すると言った。

どうしようかと考えていた俺の前で、二、三人の青年が立ち上がる。

彼らはプロの俳優を目指して養成所に所属している者だと自己紹介をした後、指導のおっさんの非礼を指摘した。

自称エキストラ指導のおっさんは慣れているように、「業界に食い込みたいのなら多少の理不尽は飲み下さなあかん」「そんなガキみたいなこと言うても何も変わらん」などと返答。

そこからちょっとした言い争いのようなものが始まった。

「こんな夜に撮影できるんですか?」という質問に対しては「それはやりようでどうにでもなる。夜間のシーンを先に撮ればいいだけのことや」という回答。

「拘束時間が伸びすぎです。予定では半日程度と聞いていたのにこれじゃ詐欺です」というクレームについては「いやなら帰れや。お前らの代わりはなんぼでもおるわ」との暴言。

さすがにこれには俺も唖然とした。

これは絶対に素人が関わってはいけない案件だ。

これ以外にも随分とやり取りをしたが、とうとう業を煮やしたおっさんは、開き直ったような尊大な態度で怒鳴った。

「ああ! うるさいうるさい! 文句があるならさっさと抜けえや! やる気のないやつに関わってもらってもこっちが困るだけや! ここまでのギャラは払ったるで、文句あるやつは帰れや!」

この言葉にバラック内の半分近くの男女が立ち上がってしまった。

近くにいた青年に訊ねてみる。

「どうすんの?」

「帰るに決まってんだろ。やってられるかってんだよ、こんなの」

吐き捨てるように言う青年の横では、二十代前半らしき地下アイドルみたいな顔をした女の子が黙って座っている。

「君も帰らないの?」

「あたしは、チャンスをつかみたいから」

どうやら事情があるらしいが、俺の知ったことではない。

「おら、ギャラ払ったるで。帰りたいやつは並べや」

おっさんに指示された通り、立ち上がった男女はバラックの入り口にあるカウンターの前に並び始めた。

入ってきた時には気づかなかったが、スマホとノートPCを繋いだ簡易認証機のようなものが置かれている。

見ていると、みんなスマホの背面にある指紋認証センサーに指を当てている。

いつの間にかカウンターの向こうに立っていた若い女性スタッフが、PCの画面に表示された金額らしきものを手提げ金庫の中から出して支払っている。

あたりを見回してみると、並ばずに座っているのは八人くらいで、若者も中年も、男も女もいる。

これだけボイコットしてしまったら撮影はできないだろう。

それともエキストラはカモフラージュで、別の目的があって集められたのか?

彼らにしてみれば、八人も残れば十分なのだろうか。

 

だが、その目的が何なのかは知らないし、知りたくもない。

「やべえやべえ。貰うもん貰ってさっさと帰ろ」

俺も慌てて立ち上がるとカウンターの列の最後に並んだ。

カウンタースタッフの女性が「ご苦労様でしたー。はい、一万円ですー」なんて言っているのが聞こえる。

「へえ、そんなにもらえるのか」と、当時金欠だった俺はちょっと嬉しくなった。

何もせずにバラックの床に座ってゴロゴロしながら台本を読むだけで一万円が貰えるなら、いい稼ぎだ。

三時間程度拘束されたとしても、自給3,300円にはなる。

内心では冷や冷やしながらも、順番は進み、自称エキストラ指導のおっさんが脇から鋭い眼光で睨みつけているカウンターにようやくたどりつく。

前の人間がやっていたのを真似し、カウンターの上のスマホの指紋認証部に指を当てる。

スタッフの女性はニコッと笑うと「124円ですねー」と言った。

彼女の言葉が理解できなくて、思わず聞き返す。

「え? 何?」

「124円です」

はあ? ばかやろう! ふざけんなよ!

「何でさっきのやつは一万円なのに、俺は124円なんですか? これじゃ帰りの電車賃にもなりませんよ」

「さあ、そういった規定ですから」

言いながら女性はカウンターの向こうから布袋を取り出すと、袋の口をカウンターの上で広げた。

1円玉が、ぎっしり。

 

多分100枚以上入っている。

 

きっと124枚入っているに違いない。


「おいてめえ、文句があるなら聞いてやるぜ」

横から自称エキストラ指導のおっさんがドスの効いた声で脅してくる。

あまりにも呆れてしまい、124円のはした金を1円玉で受け取る気にもならなかったので、俺は言った。

「あー、はいはい。いりませんいりません。ではどうも」

波風立てる気にもならず、そのままバラックを出た。

空き地を出て、駅に続く商業地区の方へ曲がる。

先に歩いていた青年が、後からついてくる俺に気づき、話しかけてきた。

「あれ、何だったんだろうね」

気軽に言う俺に、青年は怒りを隠せない顔で、

青年「あれはどう考えてもおかしいです。あんな案件を引き受けてきたぼくが完全に悪いんですけどね」

誰に対して怒っているのか。

青年「一体何でこんな仕事を受けたのか。しかも仕事にすらなってない。ギャラだって雀の涙だし」

ぶつぶつ言っているのでちょっと気味悪くなったが、ここは相手の話に合わせておいた方が無難だろう。

俺「そうだね。相手もヤクザだか半グレだかわかんない連中だったし、どう考えても映画撮ってる連中じゃなかったよね」

青年「もっと相手を確認してから仕事は受けないとダメだろ、ぼく」

俺「……」

自分好き好き症候群なのか? この青年。

鉄道の駅がある商業地区に続く坂道を下る。

空にはきれいな満月。

もうすっかり夜である。

左手に煌々と電気のついている店が見えた。

近くまで来てみると、小さなおでん屋。

俺「俺は気晴らしにおでんでも食ってくけど、君はどうする? 帰る?」

青年「いえ、寄ります」

俺と青年は扉の無いオープンスペースのようになっているおでん屋に入った。

間口は一間で、フロアの広さは六畳もない。

おじいちゃんやおばあちゃんが一人でやっているような、小さいおでん屋だった。

「どうぞ~、何になさいますか~」

頭を白い三角巾で包んだ割烹着姿のおばちゃんが、早速発泡スチロールの容器を取り出して手招きをしている。

青年「それじゃ、ぼくはこれ」

俺の背後にいた青年が、出汁の張られていないおでん鍋を指差し、そこに並べられていた中から塩揉みキュウリとワカメの串を選ぶ。

おでんじゃないだろ、それ。

おばちゃんは手際よく1本引き抜くと、「はい、お通し1本~」と発声。

なるほど、キュウリとワカメの串なんて見たことなかったが、あれはお通し代わりなのか。

ということは、俺もお通しを選ばないとダメか?

俺はお通しを出してくる料理屋は嫌いなんだよな。

お通し専門のおでん鍋の先には、おでん屋では当たり前の、出汁が湯気を立てている四角くて大きなおでん鍋があり、練り物やダイコン、コンニャクなどのおでんがたくさん煮込まれているのが見える。

俺「あのー、ここって、お通し頼まないとおでんは買えないんですか?」

おばちゃん「いえいえ、そんなことはないですよ。だけどね、できればお通し頼んでほしいのよ」

俺「うー。それじゃ仕方ない。俺もそれで」

キュウリとワカメの串を1本頼んだ。

おばちゃんはさっきと同じように「はい、お通し1本~」と発声。

まさか、これ1本が千円とかじゃないだろうな。

見回してみたところ、お通しのおでん鍋の横に「どれでも1本100円」と書いてあったので安心する。

さあ、温かいおでんを選んで腹に入れてやろう。

半日の間、何も食べていなかった腹に。

適当なおでんを選び、その場で立ち食い。

 

トータルで500円払って店を出た。

 

青年と別れ、駅へ向かう。

 

「次の電車は何分かな?」

 

改札の上に表示されている電光掲示板を見て、首をかしげる。

 

そこには「ぐだらこ鈍行 19:48」「ぐだらこ超特急 20:00」「ぐだらこ急行 20:07」のような列車名と時刻が表示されていた。

 

なのに肝心な行き先が書いてない。

 

それにしても何だ、この「ぐだらこ」って。

 

 

……

……

……

……

……

嫁ちゃんの声。

嫁「あんたなー! いつまで寝とるつもりや! もう九時過ぎやで!」

目覚めてみると、自宅の寝室のベッドの上。

夢。

夢か。

 

ひどい夢だった。

 

さぞかし、スマートウォッチが記録した睡眠の質はボロボロだろう。

 

 

睡眠スコア97かよ!!