1/27の金曜日。

 

今日はフルタイム出勤。

会社に行ったら経理から親展書類が来ていたが、しっかりと封緘されていたので、そのまま家に持って帰り、嫁ちゃんに渡した。

ペーパーナイフを差し入れている嫁ちゃんの背後から覗き見。

俺「何だった?」

嫁「こ、これは!」

俺「?」

嫁「おお! ついに傷病手当金が出たで!」

俺「おお。あのドクターの書類が通ったか。よかったなー。で、いくら出た?」

嫁「ほにゃらら万円!」

俺「おお、そりゃすご……くないか。三か月分の給料の補填なんだから、それくらいもらえて当然だよな」

嫁「何を言うかクソダボが!?」

俺「えっ!?」

嫁「仕事もせんと3か月も家でゴロゴロしとったくせにこないに仰山もらえたことを感謝せんでどないするんやこのボケが! これはまるまる不労所得やで! なのにそないな不遜な態度取っとるといつか天罰食らうでこの馬鹿もんが! ええ加減にして反省せんかダボがあ!?」

俺「す、すみません」

嫁「これで貯金も元の水準とまでは行かんが、メインバンクはだいぶ回復した。あとは障害年金の支給が始まれば、全口座の分も1年も経たずに元通りじゃ。だが!」

俺「は、はい……」

嫁「あんたのその謙虚さのかけらもない傲慢不遜な態度は大変むかつくので、以後気をつけるように。常に感謝の気持ちを忘れてはならん。きっちり反省せんと、最近あんたお気に入りのバニラモナカジャンボを二度と食わせんで」

俺「はい。反省します。保険会社様ありがとうございました」

嫁「うむ。ちゅうわけで、改めて……ひゃっほーい!」

俺「変わり身が早いな」

嫁「これで娘のオーダースーツの支払いができるで! それと自動車学校に申し込んでやれるで!」

俺「そうだね」

嫁「しかし、やつ(娘)もしばらくは実家から通うらしいし、稼ぎ始めたら少しくらいは家計に協力してもらわんとなー。食費と光熱費くらいはいただかんとなー。一人暮らしを始めた時の落差にショックを受けてもつまらんよって」

俺「確かにね。親に全部払ってもらっていると、実感がわかないからな」

嫁「しかしなー。貯金ゼロ寸前だった期間は、とにかく精神衛生上よくなかったわ。これでもう一件、何かビッグなアクシデントが起きとったら、もう後がなかったで。それこそウシジマくんとこへ駆け込まなーにっちもさっちもいかんかってん」

俺「よかったなー。ぎりぎり耐えられて」

嫁「ほんとやで。高度が下がりすぎて山の頂に主翼がかすったで。やりくり上手なうちをもっと褒めろや」

俺「あんたはえらい! えらい!」

嫁「で、話は戻るが、今回入金予定の傷病手当金は全額うちが管理するってことでええな。子供の口座からも借りとったし、戻さなあかん口座がいろいろあるが、どうせあんたはわからんやろ?」

 

俺「うん、そのへんは全て任せます。よきに計らってください」

 

嫁「そうさせてもらうわ。あんたも週5フルタイムで働き始めてくれたし、これからは、また、こつこつ貯めていけるで」

 

俺「よろしくお願いします」



 

家計の管理の方法は、夫婦の数だけ種類があると思う。

 

ある夫婦では、夫と妻の口座は完全に別にしており、家賃は夫が、食費は妻が、その他の光熱費などは折半しているという。

 

ある夫婦では、夫と妻の口座に加えて第3の口座があり、夫と妻の小遣いを除いた既定の金額を給料日に第3の口座へ振り込んでまとめ、そこから生活に必要な支払いを行うという。

 

ある夫婦では、収入の多寡は無視してとにかく合算し、生活費については完全に同一会計としている人々もいる。

 

だが、このブログでも時々匂わせてきた通り、うちはそのどれでもなく、俺が外へ稼ぎに出て、その収入は全て専業主婦の嫁ちゃんが管理している。

 

いわゆる昭和世代の家計管理であり、今時、古くさいことは否めない。

 

夫婦共働きですらない上に、財布の紐は嫁ちゃんが全て握っているから、俺の小遣いと呼ばれるものは存在しない。

 

財布の中には、非常用の1,000円札が1枚だけ入っており、その1,000円札も、もう数年の間、そのままである。

 

基本、嫁ちゃんの作ってくれた弁当を持って会社に行き、仕事をし、帰りの電車に乗り、家に戻ってくるだけで、寄り道もしなければ、回り道もしない。コンビニにも寄らないし、本屋で立ち読みもしない。当然だが、飲み屋なんか絶対に行かないし、飲み会にも出ない。

 

まっすぐに出勤し、まっすぐに帰宅するので、日々お金は使わない。


ときどき言われる。

 

「そんな人生、何が楽しいんだ?」と。

 

いやー、楽しくてしょうがないよ。

 

家に帰るのが楽しいし、家族といるのが楽しいし、話をするのが楽しい。

 

負け惜しみじゃなくて、ほんとに。

 

だから「そんなことを言うあんたは、家に帰っても楽しくないから寄り道するんじゃないの?」って聞き返したんだけど、普通にうなずかれてしまい、やばかった。

 

「そうだよ。家に帰っても落ち着ける場所がない。別に楽しくもない。だからコンビニで立ち読みしたり、居酒屋で一杯やってから帰る。早く帰宅する理由がないから、わざと残業してる。女房だって結婚当時は可愛かったのに、今じゃブクブク太って見られたもんじゃないし、ガキだって生意気になるばっかりだ。家に俺の居場所なんかないよ」と。

 

「女房がブクブク」については、「お前だってハゲ散らかした加齢臭キツいデブ親父じゃん」と言いたいが、それ以外については同情する。

 

気の毒。

 

うちの嫁ちゃんは「残業なんか許さへんで! そないな真似する暇があったらさっさと帰って来んかい! 残業代!? んなもん要らんわ!」だし。

 

世の中のとっつぁんは、そんなに家に居場所がないのかな?

 

だとしたらそれは、あんたが築いてきた家庭に、構造的欠陥と思われる問題があるからじゃないのか?

 

と思う。(大きなお世話だということはわかっている)

 

 

 

俺は、財布を嫁ちゃんに握られていても、別に何も思わない。

 

むしろ、「後方支援と基地防衛を頼んだ!」という感じで、毎日仕事に出ている。

 

嫁ちゃんとしては、「進路オールグリーン発進せよ! さあ! 今日も機体の整備は万全やし、弾倉も満タンや! ガンガン敵機の撃墜を頼んだで! 落とした敵の数がおまんまの種になるんやからな!」という感じて俺を送り出してくれている。

 

こういう夫婦だって、ありじゃないか?

 

イメージで言うと、はじめ人間ギャートルズ。

 

あの父ちゃんは間抜けなので、すぐにマンモスに踏み潰されたり崖から落ちたりして「おらは死んじまっただー」と天に昇ってしまうけど、やってることは男の仕事で、石斧と槍を持って毎日マンモスを倒しに行く。そしてちゃんとマンモスを倒し、巨大な肉の輪切りを棒に差して帰ってくる。

 

母ちゃんは、3人の赤ん坊となぜかタヌキを1匹おんぶ紐で背中に背負い、家の仕事をしながら父ちゃんの帰りを待っている。説明文のところに、「父ちゃんが獲物を持って帰らないとものすごく怖い」とあるのも死活問題で面白い。

 

俺は、家庭というものはギャートルズでいいと思っている。

 

「石器人かよ」「現代人じゃねえな」と思ってもらって結構。

 

ギャートルズのような夫婦仲で、十分に幸せに暮らせるのだ。

 

男と女は、設計思想や構造からはじまって、その存在意義や役割までもが全く異なるのだし、そもそも違うものを「平等」に扱うことなんて、できるわけがない。

 

だから俺は、昨今の、変な流れになっている「男女平等」には反対。

 

言いたいやつは勝手に言ってればいいが、絶対に平等なんて無理だと思う。

 

(確かに男性主体の国会とか老害政治にはムカついている。でも、それに反抗するフェミ婆や女性議員の処世があまりにひどいので、どっちも応援できず、こうなったら害毒どもの共倒れを願うしかないってのが現実)

 

どちらにしても、今の俺の家庭は旧態依然としたバランスの取れた良い家庭であり、どこの誰に何を言われてもどうでもいい。

 

へでもねえ。

 

100年も経てば、家族そのものの形態が現在とは変化しているかもしれないが、少なくとも今の時代において、この家族の形態は優れていると言い切れる。

 

大きなお世話だが、人生に失敗している連中の多くは、人間の基本的な拠点となる家庭をいびつなものにしてしまっていることが多い。

 

父(男)と、母(女)の、それぞれの意義と立ち位置、仕事、存在理由をぐちゃぐちゃにしてしまった家は、家庭の体を為していない。

 

不倫はもちろん、DVとか、モラハラとか、共依存とか、愛玩とか、搾取とか、毒親とか、近親相姦とか、男女平等とか、家事分担とか、そんな大げさなものでなくても、小さな地雷をたくさん抱えながら生きている連中がたくさんいる。

 

ここで諸葛亮が蜀の法正に言ったセリフを、吉川三国志8巻から引用してみる。

 

「家に慈母があっても、厳父なく、家の衰えみだれるを見る子は悲しむ。家に厳父あって、慈母は陰にひそみ、わがままや放埓ができなくとも、家訓よく行われ、家栄えるときは、その子らみな楽しむ。……一国の政法も、一家の家訓も、まず似たようなものではあるまいか」
 

俺が理想として築いてきた家庭は、まさにこの孔明が言ったセリフの中に全て表されている。

 

だから、同性婚信者とか、精子提供出産信者が何を言おうが知らん。

 

自然と命の摂理を学ぶことなく、自らの感情に忠実に我欲や肉欲だけで生きる人間の言葉は、それがいくら飾り尽くされていようとも、本当の人間としての姿を探して生きる者にとっては、上滑りするだけの空しいものに過ぎず、何も響くことはない。

 

耳を貸す必要もない。

 

人には、時代に合わせて譲ってよい部分と、どんな時にも絶対に譲ってはならない部分が存在するのに、最近はその境目がぼやけてきた感がある。

 

人間が、人間としての芯を失っている。

 

だからこそ、うちはこれでいい。

 

収入、住居、仕事、夫婦関係、育児、将来、思いつく限り、何も問題はない。

 

あえていえば、貯金が減ったくらい。

 

まあこれについては、嫁ちゃんがまた貯めてくれると言っているし、俺は頑張ってマンモスを倒してくればいいのだ。

 

家族の幸せのために外に出ていると思えば何でもない。