朝の通勤電車の中、男性と女性が、大きな声で言い争いを始めました。

鞄が当たった。そっちがぶつかってきた。

どちらが正しいのか、私には分かりませんし、知りたいとも思いません。

ただ、言い争いのなかで女性が言った言葉が、耳に残りました。

「私はかよわい女性なのよ」、「女子供に何するの?」

男が自己を犠牲にして女性を助けたり、自分の言い分を抑えて女性の主張を受け入れるという騎士道の精神を、全面的には否定しません。

でも、レディファーストもそうですが、騎士道の精神は、男の側から言うからこそ成り立つのであって、女性からそれを求めて来たら(本音はともかく、口に出して言ってしまったら)、あなたは何様?という話です。

女性自身の口から「女子供」が出たことにも、驚きました。

「女子供」とは、「一人前の成人男子に対して女と子供は半人前」という、男から女に対する侮蔑の言葉です。

大人の女性が「成人女子は子供と同様に半人前です」と自ら言うことには、違和感を禁じ得ません。

私は、「男尊女卑」を否定する教育を受けて育った世代です。

でも、昨今、男は、そして女は、はたして「男女平等」を望んでいるのか、自信が揺らぐ場面に出遭うことが多いです。

電車に乗って席に座れない時、重宝するのが、手摺りと吊り革です。

手摺りと吊り革は、揺れ動く車内で、両足の二点に加えて、三点目、四点目の支えを私たちに提供してくれます。

とても有り難い手摺りと吊り革ですが、摑まり「続ける」ことが、周りの人に迷惑をかける時と場所があります。

それは、満員電車の乗降時の、ドア付近の手摺りと吊り革です。

満員電車の乗降の流れは、ドアの幅一杯を使います。

まず、ドアが開いた時、「ドアの手前辺りの吊り革」と「ドアの両脇の手摺り」に摑まっている人が降りないと、降車する人たちの妨げになります。

降車する人が出た後、乗車する人が入ります。「ドアに入ってすぐの辺りの吊り革に摑まって」、あるいは「ドアの両脇に留まって」、そこから奥に進まない人がいると、後続の人たちのスムーズな乗車の障害になってしまいます。

満員電車に乗り合わせた時は、ドアの前と両脇にいる人は、ドアが開いたら、自分が降りる駅ではなくても、一旦、電車から降りて、その駅で降りる人に道を空けましょう。

再び乗ったら、後から乗る人たちも漏れなく電車に乗れるように、乗った途端に入り口辺りで停まらずに、車内の奥へと進みましょう。

特に、ドアの両脇にいる人のなかには、何故か、自分は往来の妨げにはなっていないと思っている人が多いように見受けられます。

電車の規格について細かいことは分かりませんが、座席の端からドアの開口部までの間の小さな空間に、人一人(ひとひとり)が納まるだけの充分なスペースがある電車と、人一人が納まりきるだけの余裕がない電車があります。

人一人が納まりきれない部分にいるドアの両脇にいる皆さん、満員電車に乗り合わせた時は、ドアが開いたら、一旦、外に出ましょう。そして、降りる人が出た後、再び乗ったら、乗った途端に停まってドアの両脇に陣取らず、奥へと進みましょう。

もちろん、乗降の流れがドアの幅一杯にならない(満員電車ではない)時は、ずっとドアの両脇に居続けても、一向に差し支えないと思います。

電車に乗っている皆が、お互いに気遣いましょう、周りを思いやりましょう。誰もが場面に配慮したいものです。

何事もTPOが大切です。


“Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)”に気を配りましょう。

今日は勤労感謝の日。三連休でリフレッシュしました。

秋深まると言うより、冬の到来を感じる連休でしたが、それでも、祝日が土日に繋がっているのは、有難いです。

フローティング・ホリデーって言うんですか?日本に導入してくれた方に感謝!

さて、三日間を満喫して帰宅したら、玄関のドアと壁の隙間に、宣伝のチラシが挟まっていました。

郵便受けがあるのに、そこに入れずに、ドアに差し込んでありました。チラシの半分ほどは、外にはみ出ていました。

なんと無用心な。これでは、「今、ここは留守です」と口外しているようなものです。

治安が悪くなってきていると言われる世の中です。ビラを配る人(会社)は、自らの商品を売り込むことばかりに目を向けないで、防犯にも気を配って欲しい。

ビラを頼りに空き巣に入られたら、ビラを配った人(会社)は、補償してくれるのでしょうか。

商行為の自由は、勿論、最大限、尊重されるべきですが、犯罪を誘発する行為はNGだと思います。

ビラの配り方を法で取り締まるべきかどうかは分かりません。

でも、消費者としては、ビラの配り方は、配った会社が、配布先のことにどれだけ気遣っているかを判断する、指標の一つになると思います。