【カボチャの馬車でドリフトする方法】自分の「間違い」を認める勇気③ | カボチャの馬車でドリフトする方法♡

の続き


必死で夢を追いかけて自己実現していたころ完全に間違っていたことがありました。

それは

 

夫も息子も大切だけど、あくまで彼らは私の人生を彩るオプション。

それがすべてではないし、私の人生の主役は私。

この私の人生をいかに輝かしいものにするかがすべてなの!

 

って思っていたことです。

 

この世に正解不正解はないから、自己実現をし続ける一生でも問題ない。

だけど、逆。

それは全くナンセンスなことです。

少なくとも私にとっては。

 

1歳も35歳も今の大切さは一緒なんだよ!!と息巻いて、自分のことばかり考えて突っ走りました。

それをいさめる人には「うるせえ!!黙ってろ!!」と突き飛ばして進みました。

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こういうセミナーを何度も経験して、セミナー講師が天職だと思いました。

 

どんな年齢でも今の大切さが変わらないのは本当だけど、自然のなりというものから来る優先順位は確かにある。

体が成長して自我が確立されるまでの間の子供時代は、大人のそれとはやはり違います。

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息子。大事すぎて言い表す言葉がない存在。

 

だから、私は間違えた。

オプションなのは人生のきらめき云々の方だった。

大切な人と人生きることと、不足感の補充に奔走することと。

どっちが大事かなんて、愚問とさえ言えることなのに。

 

「世間一般的には」それなりの形を付けてパートナーシップも子育てもしていたからタチが悪かった。

離婚したり虐待しているわけではないし、息子はいい子だし夫は優しいし、すべてうまくいっていると思っていた。

浅い。

全く浅くて、本質は何も見えていなかったんだ。

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結婚して11年。「本物の夫婦」としては…どうなんだろう(笑)!?

 

私は形こそ違えど、母と同じことを繰り返すところだったのだ。

マジ、やばいよね(笑)

 

女は仕事すんなとか、母親神話みたいなことを言いたいのではありません。

あくまでこれは私の個人的なトピック。

 

私の切り取りのきらめきのみを見ていたのは他ならぬ自分自身だったのだと気づいたとき、すべての夢は覚めていきました。

今までやってきたことが崩れていくような気がしたし、砂漠の蜃気楼でいい気になってたのかと思うと情けなくてさめざめと泣きました。

こんなに。

こんなに、こんなに頑張って来たのに、と。

 

恥ずかしかったから黙ってた。

年末年始ぐらいね、発信してなかったときのことね。

 

だって「カッコイイけいこさん」のままでいたかったから。

ええかっこしいの私はすぐにその自分の状態をさらすってことはできなかった。

だけどもう限界だったね。

燃え尽き症候群でした。

 

たった一夜、12時までにとける儚い魔法ではなく。

一生揺るがない私で在るための魔法を。

 

カボチャの馬車でドリフトするって意味は。

その派手なパフォーマンスを目指すことではありません。

大切なことを見失わずに生きた結果、その結果としてその気になれば軽ーくドリフトまで出来てしまうよっていうような、そういうことですね。

 

だから私もまだ本当の意味でのドリフトはこれからです。

Tシャツとジーパンで、息子と手をつないでこれから産まれる赤ちゃんをおんぶしながら。

でもココ!というときにはキュキュッと火花が散るような。

 

今後はそんな女性になっていきたいなぁと思っている今日この頃です。

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