そういった外側のことに主導権を渡さず、ただただ魂の声を最優先するってこと。
昨日の私の例。
昨日の朝、「今日どうする?」ってなった時点でもう10時過ぎだった。
本当は来月の夫の休暇の旅行の日程を決めるのがいいと思う。
でもどうしても気が進まない。
「普通に考えたら」ただでさえもうあとひと月切ってるねんから早く行先を決めて宿を取らないと。
そうしないとどこにも行けないかもよ?
でも今日はそれ決めたくない。
そのことを全く考えたくない。
ので、「せっかくの連続休暇にたいしたとこへ行けないかも」という未来の心配に今を明け渡さず、今したいことを優先します。
「した方がいいこと」ではなくて「したいこと」を選択するって意味です。
「どこ行きたい?」って自分に問いかけてみると、「川」と。
川???
森林浴とか滝は好きでよく行くのですが、川??
初めてのリクエスト。
早速川を検索すると家から1時間4,50分の夫の田舎の近くにピンとくる場所が。
でもこの日は16時半に夫が散髪の予約を入れているので3時には現地を出ないといけない。
今から用意して11時に出発したとしても到着は12時半~13時。
2時間ほどの滞在。
約二時間の滞在のために往復3時間以上かけてそこへ行くかどうか。
しかも目的地は単なる自然です。
何があるってわけではない、おもんないかもしれん。
気づいたら勝手にスマホで他の自然公園的なスポットを検索していた。
もっと近いことろはないか?と。
見つけたところはもう少し近い、多分車で1時間ほどであろう整備された公園。
確かに川はある。
ただそこは都会のオアシス。
違うな。
私はそう思ってるけど頭が「まあ今日時間ないしここでもいっかぁ」と言う。
「また来週ゆっくりそこ行けばいいしな…」と。
でもここでおっとっと、ってなって。
今私「3時間以上かけて行って二時間の滞在もったいない」って思ったな、と。
時間を優先して、本当に生きたい場所を妥協しようとしてる。
都会のオアシスを今私求めてないし、誰もいなさそうな別のところにピンと来てるのに。
あーやば、今私選択間違えるとこやったわ。
ということで2時間弱かけて最初に思った場所へ。
どえらい自然。
マジ手つかず(笑)
この写真ではとてもそうは見えないけど、ちゃんとしたハイキングコースです(笑)
コースの横には清浄な川がずーっと流れていて、小さな滝がめっちゃたくさんあります。
これは大きめの滝。
大きい滝もあります。
ハンパやない浄化。
めっちゃ軽装でいってます(笑)
川のほとりでお昼を食べて、誰もいない森へ入って水を触ったり滝を眺めたり。
このときの私は喜びしか感じません。
だから時間を忘れています。
結果どうなるかというと、体感時間が長くなって満足度はバリバリ。
時間は相対的なものなので、いつもその長さは変わります。
で、ハイキング終わるやないですか。
その時始めて「あっ、時間大丈夫っけ?」と時計見る。
とってもゆっくり楽しんだのに、そんなに時間が経ってない。
14:49だった。
で、もう十分なの。
「帰ろか~♪」ってなってるってことです。
長く滞在できればいいというものではないんですね。
で、時計見た瞬間に「帰り渋滞するな」ってわかるということです。
ちゃんと選択できているときって、完璧な采配を瞬時に信用できる。
最悪15時には出ないといけなくて時計見ずに遊んで10分前に終了するってことは、その10分が必要ってこと。
やっぱり帰りは渋滞してたけど、絶対床屋に間に合うってわかってた。
で、全部「ほら♡」みたいな。
◇
人生は選択の連続だってことはみんな知ってる。
んでそれをなるべく「頭の思うよかれ」ではなくて「魂の喜び」を基準にすると楽しい。
上記の例だと最初に場所を選ぶときに「損すること」を恐れないことがポイント。
3時間もかけて行っておもんないとこやったらどうしよう。
行ってみてやっぱめっちゃ楽しくて早く帰らなあかんことに後悔するかもしれん。
床屋に間に合わへんかもしれんから焦りたくない(焦るという損をしたくない)
色々と沸いてくると思うねんけど、そういうことよりも「今どうしたいか」を純粋に選ぶんです。
「こうなったら嫌だから」と保険をかけた選択をしない。
それって結果を求めてる選択であるともいえるんです。
そうじゃない。
そうじゃないんですよ。
結果は重要じゃないんです。
重要なのは選択そのものだし、プロセス。
「私」が「私」の気持ちを最優先する。ということを選んだ。
したいってことをさせてあげる。ってことを実行した。
ここっ!!
時間無理して行って、そこが楽しいかどうかが問題じゃないのです。
もちろん楽しかったら一番いいのです。
でも、でもよ。
3時間もかけて「今一番行きたい場所」へ自分を本当に連れてってあげて、そこでのんびりランチだけでもして帰る。
その贅沢さをわかるってことじゃないかと思うんです。
なんやようわからんけどこんなとこまで来て川のほとりで昼食うて帰るだけかよ笑!
みたいなことになったとしても。
そんだけの時間と労力かけてヒットするかどうかもわからん場所へ自分を連れてってあげられる自分かどうかってこと。
伝わってますでしょうかね。
最近、損したくない、後悔するのが嫌だっておっしゃる方に割と連続してお会いします。
気持ちはすごくわかるし、私もまだある。
でも私が思うことは、保険かけて妥協した選択で得た「そこそこ」のたくさんのものやことではなくって、正味で選んだ満足度の高いものやことを自分に与えたいんです。
そして本当にそうすると自ずと数は少なくなるって私は思うんです。
どんどんシンプルになってくる。
自分の選択に責任が持てるようになったり、腹をくくれるようになったら、後悔なんてしなくなる。
なんで喜びの選択がでけへんかは、そもそも自分を知らない。
何が自分の喜びかがわからないということ。
そして自分を信用していないから。
私が私を信じてあげるとき、そこには制約もなければ、後悔は存在しなくなるのだと思います。
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