私の人生の課題は「コントロール」を手放すこと | カボチャの馬車でドリフトする方法♡
人にはそれぞれ持って生まれた課題のようなものってあると思います。

私のそれのひとつは「コントロール欲を手放すこと」だと思っています。
それは母が私に植え付けたものでもあり、また私の本質がもともと持っていたものだとも思います。

私の母はものすごく私をコントロールしたがる人物でした。
主にそれは子供のころに発揮されていましたが、30歳くらいまではずっと続いていました。

子供を自分の思うとおりにしたい。

これがうちの母の無自覚の強い圧力となって私に常にのしかかり続けました。
それは時に暴言となり暴力となり襲い掛かってきました。
とにかく言うことを聞かないと怒りましたし、私の意見を聞くということは一度もありませんでした。

ただヒステリックに私を怒鳴りつけたり殴ったりしましたし、ストレスの原因の一つを私だと決めつけているようでした。
「あんたが悪い!私は悪くない!」これが母の意見で、とにかくいつも何かにつけなんでも私のせいにしました。
(と、私にはいつも感じられた)

こういう母親に育てられると、人の顔色を窺っていい子の仮面をかぶり始めるっていうタイプの人も多いですよね。
だから大人になっても誰に対してもそのようにふるまってしまうというパターン。
いい子でいてさえすればひどい目にあわされることがないからそうして自衛する。

が、私は激しく反発するタイプになっていきました。
自分と相容れない相手が現れるとファイティングポーズを取るようになっていきました。
傷つけられないために相手を威嚇する攻撃的な自衛の仕方になっていきました。

小学校高学年くらいから母に歯向かうようになったし、中学になるころから「お母さん」とは呼ばなくなりました。
アンタ、とか自分、などというようになり、次第に応戦して手をあげるようにもなりました。
いつも家の中では一触即発の状態で常に緊迫していました。
火種さえあればどつきあいの派手な喧嘩で家の中を転げまわったりしてました。

プチ家出みたいなことをしたり、外で悪いことをしたりしてうっぷんを晴らすようになりました。
本気でいつも母に死ねよ、と思っていました。

仕事で国内外飛び回っている父は優しかったけど不在がちであまり頼りにはなりませんでした。
それにかばってはくれたけど、結局最後はいつも母の味方だったと今では思う。
それは父の母へ対する慈愛からくるものでもあるけど、母を守ることでの父自身の寂しさを埋めることでもあったと思う。



母の怒りの原因は常に「けいこが自分の思うようにならない」ということだったように見えました。
わかりやすく私をコントロールしたがりました。
それもね、私のためを思ってではなく、自分のためにそうして欲しいのが明白でした。
自分の生きやすさや体裁のため。
でも私はいつでもそれに激しく反発してきました。
私が反発するたびに母は「なんであんたはいっつもそうなん!!」と怒りました。
私はいつも思っていました。

当たり前やないかい。
なんで私がお前の言いなりで生きていかなあかんねん。

そのように常に思っていましたが、同時に強く強くこうも思っていました。

私じゃなくて、お前が私のいうことを聞け!!!

そうなんです。
同時に私も母をものすごくコントロールしたいと思っていました。

理想のお母さんになってほしい。
私のために。

これです(笑)

要するに母も私もお互いに自分に都合のいい理想の母、娘を押し付け合っていたというわけ。
ずっとずっと長い間、自分を変えるのではなく相手を変えようとしていたのですね。

で、こういうのは親子で連鎖しやすいです。
母自身が祖母からの呪縛から逃れなれないまま親になってしまった。
それで自分の寂しさや悲しみの感情のうねりを私にすっごくぶつけて来た。

それは時に「自分より若く美しい女」である娘に。
またある時は「自分の男が関心を示して可愛がる女」になる娘に。
自分は叶えられなかった「親や祖父母にかまってもらえる女」である娘に。
それに何より「自分より幸せそうである女」に見える娘に。

自分の未完全かつ消化不良な感情を両手いっぱいに抱えたままでは意図せずこうなってしまうこともある。
我が子だから幸せになってもらいたいという反面、自分よりは不幸でないとたまらない。
でもそういう自分に気づいたとき自己嫌悪に駆られる。
でもそんな自分を変えることができないというジレンマ。
で、最終的には「だって自分は親に愛されてこなかったから愛し方がわからない!」と悪い意味で居直り始める…。
これはうちの母の場合ですけど、似たような人、案外いるのではないかなって思う。
無自覚な場合が多いと思うけどね。

たとえ我が子に対してでも、私を幸せにしてよ!っていう気持ちが出てくるんです。
私はかわいそうなんだから、いつも優しくしてよって。
優しくされて当然でしょ?って、押し付けてくるんです。

皮肉なことに相手を変えようとすればするほど相手はかたくなになっていく、という図式って成り立っているみたい。
それって要は相手をコントロールしたいっていう欲が全開になっているからなんです。

誰しも知っていることなんだけど、自分以外の誰かをコントロールすることはできません。
私は自分さえもコントロールすることって完全にはできないと思ってる。

人が怒りの感情を覚えるときってたいてい自分が思っている通りに人や物事が運ばない時だと思う。
だからこそ「なんでやねん!!」って気持ちがわいてきて腹が立つのではないかな。
それってやっぱりコントロール欲が働いているのかなって思います。

対人トラブル(親子間やパートナーであっても)が起こった時に理想的な解決法は本音を正確に伝える「だけ」ということ。
例)○○と言われて××をされて、私は大切にされていないと感じてとても悲しかった。
と、素直に伝える。
これだけなんですね。

でも私たちはどうしても相手をコントロールしたくなるからついついその先に手を伸ばそうとしてしまう。

だから、こうしてよ!とか
だから、謝ってよ!とか。

それって相手の領域だからこちらでは操作できない。
コントロールはできないんですね。

こう思った、という素直な本音は伝えられても、その先を相手が受け取るかどうかさえもどうにもできないという事実があるんです。
で、受け入れられなかった場合にまた怒りを感じるんですね。
受け入れさせたくて。
結局それってほとんどコントロール欲からくるものではないかって思う。

もちろん、怒りの根底にもさまざまな本音が隠れているケースがあって、一概にこれっていえないです。
でも答えはいつもシンプルで、そうたくさんのものって隠れていないと思う。
その中の多くが悲しみと寂しさとコントロール欲じゃないかと思います。
三つがない混ぜになっていることもよくあるんじゃないかな。

親子関係においてはコントロール欲は発生しやすい事案だと思います。
特に母と娘、第一子だとなおさら起こりやすいね…!
で、それが根底にあるから対人関係にも影響してうまくいかない、ってのはあるあるではないかなって思う。

で。
母を変えることを諦め始めた時から関係はよくなっていきました。
ある程度とことんやったから疲れてコントロール欲を手放したともいえるかもしれません。
今では以前から比べると嘘のように仲良くなりました。
息子が潤滑油になっていることは大きいけど、明らかに以前よりいい意味でお互いがお互いを支配することを諦めました。

母も私も、それぞれの人生がある、そしてその領域には入っていけないということをようやくわかったからでした。
もう別々の家庭でそれぞれの人生を歩いていて、その幸せは互いから与えあったり奪い合うようなものではないということ。
ようやく、お互いの間に一線を引いて心の距離を置けるようになったんです。
お互いの幸せを背負い合うのをやめた、ということです。
長いことかかりましたし、これからも緩やかにもっと穏やかになっていくのだと思います。
それぞれの強いコントロール欲をもっと手放していくことで。
とか言って一筋縄ではないかないのが親子関係ですからたまにはまたぶつかるんでしょうけど、これまでよりはマシでしょう。
…というかそう思いたい、思わせて(笑)

この「コントロールする人生をやめなさい」と教えてくれたのは亡くなった長男でした。
明日は続きでその話を書いてみようと思います。



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