ソクサバ~イ?(クメール語: お元気ですか?)
副代表の杉山さんです
今回は、遺跡観光と子供達とのふれあいを中心に書いていきまーす
では。
DAY 4 - 2/13 『シェムリアップ観光』
さて。アンコールワットで日の出を見るために、夜明け前に起床し、リーマンの運転でアンコールワットへ。
正直、『眠さ』以上に、カンボジアの朝の『涼しさ』にビックリ・・・
長袖シャツでもちょっと寒いくらい
真っ暗なアンコールワットの敷地内。よく見ると人がいっぱい。
しかも、その多くが日本人観光客(中高年層多し!)だったのに驚きました
みんな同じような格好して、同じようにカメラもって・・・。
『THE 日本人』っていうものを見た気がしました。
かく言うボクも、カメラ小僧になっていろんなアングルからひたすら写真を撮ってたわけでw
(日本人って、そゆーとこちょっと異質ですよね。経験を写真で残したがって、自分の中で消化しないってところが)
きれいな朝日をアンコールワットを目前にひたすら撮りました、
メンバーの『青春の1枚』をカメラマンとしてバッチリ抑えることもできました
カメラマン万歳~っ
さて。遺跡内をぐるーっと回ったわけですが、とにかくハンパないデカさ
石の彫刻はすごく細かくて、これを築きあげるには、どれほどの労力や時間を必要としたのか、また、これだけのものが、一昔前まで発見さえされてなくて、森の中に眠っていたのはなぜか。
そんな疑問をもったまま、ただ『スゲェー』としか言えないアホな自分がいたわけで・・・。
アンコールワット内を一回りした後、敷地内の土産物屋の食堂で朝食。
パイナップル・パンケーキを注文。
あ・・・。
パンケーキの下にただパイナップルが敷いてあるだけやん
バナナ・パンケーキも同様でした。(載せてくれないんだねー)
そこで運命の出会い
このFW中、ボクが出逢った中でもNO.1の『かわいさ』をもつ4兄妹の子供達に出会いました
(初めてのカンボジアの子供とのふれあいだったわけで、これがキッカケで本当に子供が好きになったのかもしれない。)
土産屋で働くお母さんの周りをぐるぐる回ったり、走り回ったり、なんか、もう見てるこっちが癒されるほのぼのとした空気があたりを包んでいて、時間がゆったり過ぎていきました。
写真を撮ってあげたりしながら、とてもいい時間を過ごせました。
ボクらが帰ろうとしたとき、走って追いかけてきて、遺跡のあちこちに登ったり、降りたりしながら、ずっと何かを叫んでいてくれました。
『チュムリアップリア~』だったけかなぁー。(「さようなら)の意)
あの子供たちの『笑顔』、アンコールワットなんかよりもずっと見る価値がある。
そう思えた。
その後、路上で土産物を売り歩いてる子供達に囲まれました。
彼らは、やはり学校には行っていないようで、観光客向けの土産物を売ることで収入を得ているようでした。「1ドル」と指を立ててよってきて、離れようとしてくれない子もいたっけ。
まだまだ多くのカンボジアの子供達は、こうやって毎日生きるために、やりたいことも遊ぶこともせずに、働いている。
日本人のボクたちよりもずっと早くに大人になること、生活していくことを直視することを必要とされる彼ら。
教育を受けられること、それができる環境にあることの有難味を感じた。
この後、アンコールワット周辺の孤児院に行ったり、アンコールトムのバイヨン(中心部の寺院)やタ・プロム(遺跡・巨大なス・ポアンの木が有名)、トンレ・サップ湖(水上マーケットと夕日が良かった)に行ったりしたわけですが、特に孤児院での出来事が印象的だったので書きます。
孤児院の子供達は1日1ドル以下で生活していて、教育を受ける環境も、狭い教室1つという状況ですが、やはり子供達には笑顔が溢れていました。この孤児院があることにより、ストリートチルドレンから救われたり、免れたりした子も何人もいるそうです。
孤児院の年長者の17歳の少年がボク達に、そんな孤児院の状況を説明してくれました。
そこで少年があるTシャツを取り出して言いました。
「このTシャツを1枚10ドルで買ってください。その収益がここの運営資金になります」と。
Tシャツ1枚10ドル。日本で買えば何てことない値段。でも、いくら孤児院独自のデザインとはいえ、市場で売ってるTシャツは1枚3ドルとか、5ドルとか。
正直、みんな戸惑っていました。
代表の凡ちゃんが言いました。
『じゃあ、Tシャツは買わずに、みんなで2ドルずつ計10ドル寄付しよう』
みんな納得して寄付し、その場は流れました
ちょっと良いことした、と思うところも少なからずありました。。
アンコールワットのお堀(?)で、子供達と水浸しになりながら、時に大人同士でもバカみたいに水浸しになりながら、遊びました。
帰ってから、なぜかボクの中に残る違和感。これは何だ。
答えは単純。後ろめたさ
なぜ、ボク達はあの時、10ドルと言われたTシャツが買えず、一人2ドルならいいや、と思ってしまったのか。
彼らはただ寄付を受けるわけでなく、Tシャツを通して少しでも自立をしようとしている。
本当に、孤児院のことを思えば、あそこは買うべきではなかったのか。
でも、買う・買わないは自由。
じゃあ、なぜ、あそこで2ドルなら、と思ってしまったのか。
中途半端な気持ちでお金を寄付してしまったのではないか。
でも、それで、実際に10人分の1人の生活費がまかなわれる。
そんな自問自答を繰り返し、結果、その日の話し合いでも議論になりました。
『支援とは、寄付とはどうあるべきか』、これは各個人の価値観によって異なるけれども、ボクはいろんな経験をしながら、一生この命題の自問自答を繰り返していくと思います。
その夜は長い夜となりました。
今回の総括
子供達の笑顔のためにできること、その裏にある社会的な背景をもっと理解しなければ。
寄付・支援とはどうあるべきか考えることも、時に立ち止まり考えることも必要です。
寝ることって、本当に重要。


