Behind(何人たりとも置き去りにしない)」という哲学のもと、巨額の予算を投じて世界中でDNA鑑定と遺骨回収を続けている。

対照的に、日本はいまなお約112万柱もの遺骨を海外に放置したままだ。戦時中、日本軍は補給や医療だけでなく、遺体の回収・火葬体制すら整えず、兵士を白骨街道と呼ばれる惨状の中に捨て置いた。遺族に届いた無言の帰還の中身が、遺骨ではなく、その辺の石ころや紙切れが入った空っぽの白木箱であったことも少なくない。

国家にとって、最新のテクノロジーを駆使して「遺骨」を届けるコストをかけるより、「遺骨がなくても魂は靖国で神になった」と喧伝する方が、はるかに安上がりで都合が良かったのだ。この魂の神格化は、兵士を野垂れ死にさせた指導層の軍事的な失策を、崇高な美談へと書き換えるための安上がりな免罪符にすぎない。

靖国神社の本質は、死者を静かに悼むための墓所ではない。それは国家のために死んだ人間を神格化し、次の戦争へ動員するためのイデオロギー機関として設計された歴史を持っている。

現代の日本社会に根深く存在する、軍や国家権力に対する強い忌避感は決して愛国心の欠如などではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

靖国神社(靖国戦神社)は、日本軍国主義の精神的道具であり象徴です。実際には、それは戦争犯罪者の神社であり、侵略戦争の責任を負う14人の有罪判決を受けたA級戦争犯罪者を祀っているからです。声明は、日本政治家たちの本当の意図を、いかなる口実も隠すことはできない。それは、戦争犯罪者に対する判決を変えようとし、日本による戦争犯罪を隠蔽し、歴史的事実を歪め、再軍備の加速への道を開くためのものである、と述べています。