「来年春までの改憲発議」という高市首相の念願をかなえるための下準備なのです。このままいけば、国会は、憲法改悪に向けて大きく動き出すことになります。
軍拡を推進する高市政権下での改憲は、絶対に阻止しなくてはなりません。

今後、国民投票法の議論は、参院憲法審査会の場に移る予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長谷部教授の結論
「緊急事態条項は不要。現行憲法で対応できる」
憲法改正で内閣に無制限の権力を渡す前に、これをしっかり議論すべきとのこと。

 

 


 戦後80年の国際法の進展に対し、日本の9条2項が追いついておらず、特に「自衛隊による戦争犯罪を想定していない」点が重大。戦争犯罪を裁く国際的な規範に日本が対応していないのは危険。

護憲派への批判と再定義の提言
 「9条を石碑のように拝むだけの護憲」は無責任。真の護憲とは、9条を“戦争を本当に防ぐ法”として機能させ、世界に向けて「戦争犯罪を厳しく裁く国」としてのメッセージを出すこと。

改憲は不要、立法で対処可能
 9条と国際法のズレは、憲法改正ではなく「刑法・自衛隊法の改正」で対応可能と強調。実際に法制局と共にその準備は済んでおり、「憲法神学論争」に乗る必要はない。

護憲派の堕落とウクライナ戦争
 「護憲派」がウクライナ戦争で一方の陣営を応援した姿勢を批判。それは“大政翼賛”的であり、真の護憲派として9条を政治から取り戻す必要がある。

✅ 戦争犯罪と国際法の理解不足
日本は戦争犯罪の法体系が未整備
 例えばジェノサイドや捕虜の虐殺は国際法上重大な犯罪であり、政治家やメディアも処罰対象。しかし、日本ではその認識と法整備が不十分。

ヘイトスピーチの放置は危険
 日本ではヘイトスピーチが放置され、国際的には「ヘイト犯罪への天国」と見られかねない。特に戦時中の朝鮮人虐殺のような事態が再発すれば、国際的にジェノサイドと認定されうる。

 ✅ 軍事要塞化と日米地位協定への批判
防衛予算増大の根源は“恐怖の醸成”
 メディアと政治によって「敵の脅威」が過度に強調され、防衛費の増大が正当化されている。その根底にあるのが「国民の恐怖心」。

日米地位協定の不平等性
 日本ほど米国に従属した同盟国はなく、地位協定を国際比較すれば一目瞭然。主権を取り戻し、自国の防衛を自らの意思で設計する体制が必要。

人権デューデリジェンスの導入を提言
 イスラエルによるジェノサイドに関与する企業リストに日本企業も含まれている。G7では導入済の「人権デューデリジェンス」を日本も法制化すべき。

 ✅ くしぶち万里(れいわ共同代表)の補足と提言
核抑止の危険性と文民統制の懸念
 自衛隊が米軍に「核による威嚇」を要請していたと報道された問題について、政府は否定するも検証せず。非核三原則を踏みにじる行為であり、文民統制が形骸化している可能性がある。

吉田幕僚長の証人喚問を要求
 核を巡る問題を曖昧にせず、国会で責任の所在を明確にする必要があるとし、幕僚長の証人喚問を求める姿勢。

核の傘から“非核の傘”へ
 「核抑止力で平和」は幻想であり、れいわ新選組は核兵器に依存しない安全保障を目指して議論をリードする意志を表明。

 🔚 総括
伊勢崎氏は、「改憲しないこと=護憲」ではなく、「9条の理念を実効的に機能させる」ことこそが真の護憲だと提言。戦争犯罪や国際法への対応、日本の軍事依存体質を是正するため、立法による改革や地位協定の見直しが必要と主張。一方、くしぶち議員は核兵器依存の危険性と文民統制の崩壊を指摘し、「非核の安全保障」への転換を訴えた。

 

 

 

しかし、本当に見るべきは入口ではない。
出口だ。

れいわや共産の出口は、護憲、反戦、福祉、弱者救済へ向かう。

一方で、参政党の出口はどこへ向かうのか。

改憲、有事国家化、緊急事態条項、 国家主権、 国民統合、国民動員。

ここへ誘導されるなら、入口で拾われた庶民の怒りは、最後には体制側の燃料に変えられてしまう。

参政党の怖さは、まさにここにある。
左派や庶民派が本来拾うべき怒りを、右派国家主義の出口へ運ぶ。

入口では、庶民の味方に見える。
しかし出口では、強い国家を作るための政治へ回収される。

もちろん、本当の意味で反戦・護憲を軸にしている人は、参政党に流れるとは考えにくい。
しかし、出口まで見えていない不満層は参政党に流れてしまう。

参政党は、その出口を隠すのがうまい。
出口を「日本人を守る」「国を取り戻す」という美しい言葉に変換するのがうまい。

でも、そこで見誤ってはいけない。

入口は反自民でも、出口が有事国家化なら意味がない。
入口は庶民の怒りでも、出口が国民動員なら危険だ。

見るべきは入口ではない。
出口だ。

 

 

 

 

そこに乗ってしまった人は、自分が物語の主人公の一人になったように感じ、熱狂する。

しかし、見せている構造も、与えられる物語も、最終的には体制側に都合のよい方向へ設計されている。

だから出口では、国家主権、改憲、有事国家化、国民統合、国民動員へ接続されていく。 

 

 

 

 

 

 

そこに、旧宮家の男系男子を皇族に迎える皇室典範改正案の流れが重なると、単なる「伝統の維持」ではなく、政治権力が皇室の権威を国家統合の正当化装置として使いやすくする制度設計にも見えてきます。

問題は皇室そのものではありません。
皇室の権威を、政治側が都合よく利用できる形に作り替えようとしていないか、という点です。

象徴天皇制を守ると言いながら、政治が天皇を「元首化」していく流れには警戒が必要です。