参院憲法審査会で有識者2人、緊急事態条項の必要性否定 

10日、参院憲法審査会で早稲田大の長谷部恭男教授と専修大の只野雅人教授が参考人として出席。新たな緊急事態条項は不要で、現行憲法54条の緊急集会で十分だと指摘しました。長谷部教授は議員任期の自動延長案を「異常な制度設計」と批判。只野教授も選挙困難事態の可能性は低いと述べ、与野党の改憲議論に影響を与えそうです。 

 

 

 

 

 

 

「伊藤博文名義で刊行の旧憲法の注釈書『憲法義解』もこの緊急命令を定めた憲法8条の注釈で、この制度の危険性に十分注意を促している」

 

 

 

 

 

 

 

自民改憲草案(特に私権制限関連)は、明治憲法よりも中国憲法により近いと指摘しています 。以下学術論文

『非立憲性の強い憲法における人権制限理論一明治憲法と中国憲法、自民党改憲草案の比較検討一』

高橋孝治
立教大学アジア地域研究所 特任研究員

 http:// seikatsuken.or.jp/database/files /n202205-304-005.pdf 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これを入れれば、9条2項の戦力不保持も交戦権否認も、必要な自衛措置という例外で抜けられる。

つまり、9条2項を残しているように見せながら、実質的には骨抜きにする改憲だ。

「9条2項は残すから安心」ではない。

条文を残したまま、効力を殺す。

これを国民に十分説明せずに通すなら、国民をだます改憲になる。 


 

 

 

 

 

 

 

 

先人が我々のために考えてくれたものが受け継がれています。改憲させてはなりません。 

 

 

 

 

 

 

 

でも出口は同じだ。

国民主権を弱める。
平和主義を弱める。
国家の裁量を広げる。
個人より国家を上位に置く。

つまり出口は、
「有事体制を整えること」だ。

ここが見えてくると、選挙で政党を選ぶだけでは解決できない感覚になるのは自然だと思う。

たとえば、熱烈に特定政党を支持していた人が、選挙後に一気に絶望し、反転してアンチ化する現象がある。

彼らは「選挙で変えられる」と信じていた。

しかし、支持政党が伸びても根本構造が変わらない現実にぶつかったとき、怒りの矛先が構造ではなく、支持していた政党そのものに向かう。

ただ、そこから「政治の裏側」まで見に行ける人は少ない。

多くは、
「この政党がダメだった」
「この政治家がダメだった」
で止まる。

でも本当は、もっと深いところにある。

なぜ、どの政党も最終的に同じ出口へ流されるのか。
なぜ、国民の感覚と国会の方向性がここまで乖離するのか。
なぜ、旧宮家養子案や改憲のような話が、国民の違和感を無視して進もうとするのか。

ここを見ないと、本質には届かない。

さて、ここから強烈な世論誘導が来るとみる。

旧宮家養子案なら、

「伝統を守るため」
「皇室を安定させるため」
「愛子さまを政治利用するな」
「女系天皇は皇統断絶」
「反対派は反皇室」

9条改憲なら、

「自衛隊を違憲のままでいいのか」
「中国が攻めてきたらどうする」
「国を守るのは当然」
「反対派は現実を見ていない」
「平和ボケ」

こういう言葉で、国民の違和感を封じに来るだろう。

コロナ禍のときと同じで、反対する人を「非現実的」「危険」「陰謀論」「反社会的」とレッテルを貼ってくくる。

だから、僕たちがやるべきことは、感情論ではなく、争点を言語化することだ。

旧宮家養子案の争点は、血統ではない。
皇室を平和主義の象徴として維持するのか、国家統合と国民動員の装置へ変えるのか。

9条改憲の争点は、自衛隊明記ではない。
「必要な自衛」の名で、自衛権の範囲を政府判断で広げるのか。

選挙の争点は、どの政党なら救ってくれるかではない。
議会の中で出口が固定されているなら、「議会の外から争点を作れるかどうか」。

ここだと思う。

だから厳しいけど、「問題点を言語化して共有する」という行為は、かなり意味がある。

議会制民主主義が機能不全を起こしているなら、まず必要なのは、国民側が「何が争点なのか」を奪い返すことだ。

今はまだ、ぼんやり違和感を持っている段階だと思う。
でも旧宮家養子案、9条改憲、緊急事態条項が一本につながって見え始めたら、政治への見方はかなり変わる。

争点はもう、政党選びではない。

日本を、国民主権と平和主義の国として残すのか。
それとも、国家を国民より上位に置く有事国家へ作り替えるのか。

この争点を、議会の外側から作るしかない。 

 

 

 

 

しかし旧宮家養子案を推す勢力は、総じて平和主義よりも、国家主義、対中強硬、改憲、大日本帝国的な国家観に近い。

その勢力が、外から皇室に入る人物を選び、支えることになれば、皇室の思想的な性格そのものが変えられる危険がある。

これは血統の問題に見えて、実際には思想の問題だ。

皇室を戦後平和主義の象徴として守るのか。
それとも国家統合と動員の装置へ作り替えるのか。

旧宮家養子案の本質は、ここにある。 

 

 

 

問題は、外から皇室に入る人物を誰が選び、どの思想や政治勢力が支えるのか。

戦後の皇室は、平和と慰霊の象徴として歩んできた。

それを、国家統合と動員の装置へ作り替えるのか。

旧宮家養子案は、国民主権の国から、国家を上位に置く国へ作り変える流れの中で見なければならない。