BILLY | favilionさんのブログ

favilionさんのブログ

ブログの説明を入力します。

きっと「まだ若いのに」、「またそんな心にもないことを言って」と言われそうで思われそうで本当のことを言うと嫌味に聞こえてしまうのではないかとよぎったり、「そう思ってしまう」ということを現に今、口に出すことで「全くそんなふうに思っていなかったのに。むしろそれを想像することのほうがよっぽどあざとく、きみはいやなやつだな」と更に、余計に、反対に思われるのではないかとも思え、わたしは自分の思ったこと、感じたことを率直に人に伝えることにとても困難さや不自由さを感じる。というと、次には必ず「気にしすぎだ」、「そんなに人に気に入られたいかね」、「やはり自意識過剰だね」と言いながら、「俺は、わたしは、人にどう思われようが気にはしないね」、「人は人、自分は自分、そう思わないとこの先やっていけないよ」、「俺なんてね、わたしなんてね」とさぞかし大変なご苦労をされた大先生の武勇伝やら身に余るお説教やらを頂くことになるのでますますだんまりを決め込んでいたくなる。クソ喰らえ。

おまえたちの考えること、言うことは一キロ手前から、おまえがその曲がり角を曲がる手前の手前からわたしにはわかっているんだ。わたしは鼻がいいのだよ。おまえたちは、まるで歯槽膿漏みたいないやったらしい下卑た臭いを知ってか知らぬか身から下げ垂れ流しているからな。と、いう前置きをしたところでわたしは、例えば近頃多々、いたるところへの衰えを感じるということを言いたかった。身体においても思考においても感覚においてもいたるところに衰えを感じる。

興味がない、感動がない、燃え上がるおもいがない、思い上がっている、卑屈になっている、垂れ下がっている、背肉がついている、打ち上がっている、声がかすれている、作り笑いがましになっている。怠惰?そんなよいものじゃない。それさえを感じなくなっている。

けれども衰えとはまるでかけ離れた若さの象徴であるような疑問符ばかりが膨れ上がりますますいろいろなことがわからなくなってしまって落ち着かず、定期的に発作的に今更にむやみやたらと時代錯誤な「右や左」や、恥ずかしいちんちくりんの思想かぶれがみたいなことを思って言い出しそうになってしまったり、またそれを思いかえして発狂して死にたくなるほど恥ずかしくて変な声がでそうになってしまう節があり、けれど反対になにか物事の根底のようなものをふっとわかってしまって、理解してしまって驚愕ではなく唖然としたり、それへ絶望したり、絶望する自分や現実がまた空々しく白々しくなってしまったり、あらゆることを突き詰めようとすると、突き止めると、掴んでしまうと、そうしてわかってしまうと、そこにはやはり黙ることしか残されていないという勝手な空虚な自己解釈の現実に突き当たり佇み、馬鹿らしい夜更かしと寝起きの後悔と二度寝への救済を求めることばかりを繰り返している。

まだまだあたしはきっと危ういけれど、それでもそれなりにいろいろなことへ慣れてゆき、それを「やっと慣れることができた」とほっとしたり、慣れて「しまった」とぞっとしたり、けれども所謂「良し」とされることが悪に思えたり、「悪」とされることがあたしにはそんなに悪くは思えず、むしろ「なるほどな」と感じたり、それを「人それぞれ」だとか「それが個性だよ」とか「それでいいんだよ」と言われれば、話にならないなと唾を吐いて誰かの心を蹴飛ばしたり、例えば本当はあなたのようにあたしだって願うことができたらいいな、ということを願い、と言って思い出したが、わたしはいつも気持ちと行動がうらはらであると思う。『風車がお化けにみえたならお化けを描かなくてはいけない、風車が風車にみえたならお化けのように描いてはいけない』。
「そうでありたい」と憧れることと実際のあたしの感想にはいつも大きなズレがある気がする。

きっと誰かの美しい行いへの動機がわたしの心にはない。だからそう思うことのできないわたしの心は、卑しいような、荒んでいるような、醜いような、欠陥のあるような、後ろめたさのような、罪悪のようなものを感じる。と、思った瞬間今度はそう思ったことも本当でありながら、反対にやはりそんな行いをする誰かのことを、わたしは浅はかだと感じたり、考えが無いように感じ鼻で笑ってみたりしている。

わたしはどうしても人の心の裏といわれるものに執拗に、悪く反応してしまういやな性分なのだと思う。
心に裏のない人間なんていやしない。自分が良い例だ。それなのに。他人のそれは許せないのだろうか。いや、そうじゃない。きっとそうじゃない…!

その心の裏をどうにかこうにか隠そうとするのとは違う、隠すことができる、自分だけはうまく人を欺くことが出来る、自分だけは他人を容易くコントロールすることができるのだ!という低俗極まりない馬鹿げた自負のようなものを皮肉にも隠しきれずにいる、薄汚い人の心へ強力に反応してしまう。

そうして、そういう者は決まって、先に述べた卑しい人の心の裏側を察知したとき、自分のそれを「洞察力」だと言ってまるでひけらかすような、聞くに耐えられない羞恥を差し出してくるが、わたしのそれは洞察力などといったおごそかな知恵のようなものでは決してない。なにか貧しさのような、重く暗く根深いいやらしさのようなものから生まれた心のように感じる。そしてそれを一掃することがどうしてもできない。

どうしても人がなにか、所謂「良し」とされていることを口にすると、ふんと嘲笑している自分がいる。なにも「良し」とされる物事が気に入らないわけではない。
『兄さんはこの世で起こるすべてのことが気に入らないのよ』…。
そうじゃない…!彼もきっとそうではなかった…!そうじゃないんだ…!

あたしはそういう人間の口元にいつも違和感を感じてしまうのだ。そしてそれにひどい嫌悪を感じる。みるみるうちに沸き起こる怒りで腸がよじれおかしくなってしまいそうな異常な憎しみのようなものを感じる。傷つけてやりたくなる。抑えきれなくなりそうになる。その口元になにか誘導のような卑怯さを、人間の心に潜む元を取ろうとするケチな卑しさのようなもの、してやったりな得意げなものを、ひひっと笑う猿のような、なにかとてつもなくいやらしいものを感じる。片方の口角を熟れたように引き上げる巧妙な人間の心のを。そんなものを思ってしまう。それをとても嫌いだ。どうにも許し難い憎悪を感じる。

さっきから同じことを繰り返し言っているだけの気がする。どうもそれらを思うと冷静を保っていられない。

わたしはきっと人に気に入られたい。けれども、これこそ言う先から馬鹿らしさと恥ずかしさで赤面しそうだが、一番にはきっと自分に気に入られたいのだ。更に馬鹿らしいことを言ってしまうが、きっと誰の心の中にもきっと愛すべき所謂もう一人の自分がいる。とても近しく、とてもお節介で鬱陶しくてたまらない自分がいる。
ある時までわたしはそれをビリーと呼んでいた。わたしはそのビリーにきっと気に入られたいのだ。

しかしビリーはあたしを許してはくれない。ビリーはあたしにいつも「律しているのだ」という言い分で執拗に迫ってくる。だからわたしはミセス・パティや、ル・ディをビリーの元へ派遣した。彼女たちにビリーの陰険なものの見方、わたしへの束縛を和らげる役割を期待して。

ビリーはわたしの主観を否定する。わたしの主観を「とても容易くおめでたくてかなわない」と嘲笑の眼差しに込めて言う。わたしの行く所々にすっと現れて、すれ違いざまに足をひっ掛けてわたしを転ばそうとする。そうしてわたしはビリーにそういうつもりはないことを、これがわたしの真心であるのだということを訴え、どうか今後はそのように言うのをやめてほしいと涙目の懇願を何度もする。にも関わらず、わたしは突如ビリーの言い分にも一理あるように思え、しまいにはいつも彼に屈してしまう。そうしていやであるはずのビリーの自論や論調を真似てか、無意識のうちに染み付いてしまったのかわからないが、わたしも彼に言われたことを人に思うようになり、わたしはあなたにきびしくあたり、あなたを傷つけてしまったりした。

けれどそんなビリーだとか、ミセス・パティやル・ディなんて、そんなものはやはり逃避であって、お遊びのようなものであることはさすがに馬鹿なわたしだってわかっている。ただのわたしだ。いい歳をして恥ずかしい。これもきっとビリーの言葉なんかじゃない…。

そうした馬鹿げた妄想をしてしまう自分や、それなのにその妄想を容易に拒絶できない自分にもほとほと疲れてしまい死んだ様に、泥の様に長く眠ることでやり過ごす。

とにかくわたしは何か思ったことを、本当にそう思ったことを、口に言葉に託した途端に、たちまち胡散臭さや白々しさを感じてならない。どうしてもビリーが笑っているのだ。更にどうしようもないのは、そんなビリーにわたしは好かれたくて気にいられたくてならないことだ。

彼はいつもいつもわたしを試し、次々に課題や設問を押し付ける。わたしが答えられず何度も何度も考え直しやっとわかりかけたところで発言権を抉りとり、必ず最後まできちんと空欄を埋めさせてはくれないまま新しい問題をなげてくる。休む間もなく次々と。だからわたしの疑問も答えも書き損じの丸めた紙切れはみるみるみるみる溢れかえってついには処分の仕方すらがわからない。

いつもいつも触れられそうで逃げていく、掴みかけて消えて行く、閃きは閃いたその瞬間すでに追憶となるような、しっぽを隠したデジャブのような、何度やってもすり替えられたカードゲームのような、おもちゃにされて遊ばれているような、馬鹿にされたような、思い思い思い思い思い…、応えようとするけれど、煮えきれない実態のない空の重みに耐えかねて気絶した振りしたくなる。

わたしは充分堪えたと思った。わたしはとても彼へ尽くしたと思った。わたしは彼を辛く思いもしたがそれでもわたしは彼を慕っていた。しかしもう彼と共存することはできないと思った。苦しかった。彼を殺すことを思いついた。思いついたからそうした。人はきっと忘れられた瞬間殺されるというでしょ。わたしは彼を忘れることにした。意外にも成功した。ミセス・パティやル・ディのことも宙に放した。

わたしは近頃多々、いたるところへの衰えを感じるということを、こうして好き勝手にだらだらと書いた。書き終わったので読み返して一呼吸ついた。

すると、とても聞き覚えのある声がした。「たいそうご立派な感傷だこと」。