書いていたい。書いてみたい。
あたしをもっとみてほしい。
あたしのことをみないでほしい。
あたしが書いてしまうとそれはたちまち意味を持たなくなってしまう。
それはたちまち朽ちてしまう。
と言うと、とてもキザで格好つけであの「ひょーげんしゃ様」とか「げーじゅつか様」と同じみたいでいよいよ、頻脈、冷や汗、顔面蒼白。
心に冷水くらって風邪でも引いてしまいそうになるのです。
戦いじゃない。
葛藤。
そこにいつも佇んでいたいのです。
そこにだけいつも真というものがあるのです。
そこにだけいつも、たまに、やっと、愛というものがあるのです。
しかしそんな大それた、もったえぶった言い方をするから、どんどんどんどんダメになってしまうのです。
言ったそばから、そのいやらしさの亡霊に付け込まれ付け回されとても具合が悪くなります。
それは埋めてしまう。
埋まってしまう。
あたしを埋もれた心に埋めてしまう…。
まるで寝起きの首に絡まるあの忌々しい底のない空洞みたい。
解いても解いても巻き付くいやらしい長い空…。
昨日の夢をしまいきれない下品で淫らな黒い空洞。
昨日の無知を、一昨日の恥を、忘れもしないと言いながら、十数年前の償いきれない過ちが。
まるで反省の色すらない薄ら笑い。
白っぽけた能面のよう。
白々しい。
忌々しい。
だって!表現とは求愛行為のことでしょう?
いけないのは無学や無道徳なんかじゃない。
いけないのは情熱がないからだ。
《表現とは求愛行為のことでしょう?》
けれども、情熱と託けたあのいやらしい「ひょーげんしゃ様」にはなりたくないのです。
《表現とは求愛行為のことでしょう?》
口笛すら吹けやしない承認欲求と自己顕示欲にまみれたあの人たちのようになりたくはないのです。
《表現とは求愛行為のことでしょう?》
そんな恥さらしなスマートには死んでもなりたくはないのです。
《表現とは求愛行為のことでしょう?》
風変わりな言葉でめかしこんで、奇人変人なふりをして、他所にはまるで興味のないふりをしながらも、何よりもそれに憤慨し、それに嫉妬し、それのせいにする、自己陶酔だけが話し相手で、生活の温もりなど疎かにした薄気味の悪いあの人たちのようになりたくはないのです。
《表現とは求愛行為のことでしょう?》
もしも世界が爆発して、しかしこの世にあたし独り。もしも取り残されたしまったら。
きっとあたしはお洒落なんかしやしない。
お化粧なんかしやしない。
人様の袖を通し我が物顔のファッションショー。
そんな悪趣味なんてしやしない。
だけどそのとき。
きっとそのとき。
あたしは書くかもしれない。
紙もない、ペンもない、しかしその荒れ果てた地の砂の上に、干からびた誰かの亡骸の角で書くかもしれない。
あの人たちもそうなのですか?
あたしは下衆びた、もっと愚劣な、もっと卑近な、もっと恥ずかしい代物じゃないかという強迫観念のようなものに憑かれて、付け込まれ、付け回されて、恐怖におののき、半ばもう変顔の泣きっ面の半狂乱で、醜い愚かなジレンマから抜け出すことができないのです。
もう随分とたたずんで。
教えて欲しいのです。
表現とは求愛行為のことでしょう?
表現とは求愛行為のことでしょう?
きっと、表現とは求愛行為のことでしょう?
そうだと言ってほしいのです。
でなきゃ、もうあたしは何も何も書くことなんてできやしない。
表現とは芸術とは求愛行為のことでしょう?
あなたならなんて答えてくれるのでしょう…。
もう聞けやしない。
あたしはサビ緑色の生活者…!