カトリックとプロテスタント | ティータイム心和むクラシック音楽を聴きませんか

カトリックとプロテスタント

私はキリスト教徒ではないので、正確なことは言えませんが、バッハのシンフォニアを聴いていてふと感じたことを備忘として呟きます。

カトリック信者はキリスト、いや神の意を汲む代弁者としての教会に懺悔し従う人間で、プロテスタントではルターは神の意志が自己に降りて来て神に従う人間で、エラスムスは人間が自己の納得する、多分親和する神を選ぶとしています。更にカルヴァンは自己の意志が神の意志と同化し、神の軍隊の下士官でありながら自らの意志が神と同一であるとの一線を越えた自己絶対化の道を切り開いたと私個人的に感じています。つまりカルヴァン派の人達は自ら神の僕でありながら神の意志を体現し実行する存在と認識していつしか神と同一化し、同じキリストであるはずのキリスト教信者同士の認識する神が相互に正統性を争う事態に直面し、更に信仰と世俗が相互浸透したことが経済学的な考えをもたらし人間の相対化が神も相対化し、社会の正義がそれぞれがキリストを頂く一人一人の人生が世俗的に成功者と失敗者に分離し、世俗の背景に信仰が浸透し無意識に世俗と神が絡み合い溶け合ったことが、かえって社会の貧富の差と幸せと不幸の調整、魂の救いが世俗面からしかできなくなり、富者の失敗した他人に対するリスペクトは吹き飛び、それが更に失敗者の誇りや生きるための矜持みたいな心の支えさえも奪うようになったのではないかなどと感じます。資本主義はウェーバーの意図は分かりませんが、個々のキリストの争いで誰かのキリストが勝ち誰かのキリストが負けるみたいなことが貨幣的な蓄積に置き換えて混乱から来る憎悪や慢心と絶望をそれなりに緩和して社会に広げたのではないかなどと感じます。

自分で書いていてまだまだかなり違和感がありますが、思考のデッサン?くらいの状態です。