三方原 | ティータイム心和むクラシック音楽を聴きませんか

三方原

武田信玄と徳川家康の有名な三方原の戦いでは武田信玄は坂の上で徳川軍を待ち薄暮=夕方少し前に礫合戦を始めて圧勝しました。
で、室町時代の万里集九が江戸の太田道灌に招待されて美濃から東に向かった記録に万里は三方原で初めて富士山が見えて感動して叫び笠を投げたとあるそうです。
つまり、武田信玄は夕方に紅富士、しかも確か年末近かったから雪化粧した白い富士が夕陽に紅に染まる中で徳川軍が夕陽に向かって眩しい行軍という状況を見つめて冷静に礫合戦から戦いを始めたということかと私個人的に感じます。

そして妄想ついでに本当にこんな芝居仕立ての戦いが事実としてあったのかという疑問です。しかも、夜戦になり大敗した家康は臣下夏目の身代りにより生き延びているし、大敗した浜松城を信玄は素通りしよく分からない行軍を三ヶ月して亡くなっているのもまさに僥倖で神の加護が家康にあったと感じさせる筋書きになっています。徳川家康の時歴はよくよく読んでいるとおよそお伽話ではないかと感じられる話がたくさんあり、長い江戸時代にかなりの記録が書き換えられた可能性を検討すべきではないかと思います。どの歴史学者もそんなことを言わないのはある意味不思議とも思いますがいかがでしょうか?(笑)。